育老日記・痴呆の症状と向き合う備忘録
■術後経過2004/7/1(木) |
姉が付き添いをしてくれたので、朝病院に行く。 姉が昨夜の父の様子を報告してくれた。 ***************************************** 夜10時ごろまでは比較的おとなしく、 身動きもせずにボーっとしていました。 多分麻酔の酔いから覚めやらなかったのでしょう。 眼は、曇りガラスのように焦点が合わず、 しきりに口元の酸素マスクを嫌がり、右手で触っていました。 そのうち、とうとう外してしまいました。 (夜中に看護士さんが付け直してくれました) 看護士さんは1時間おき位に様子を見に来てくれて、 2時間おきに体温、血圧を測っていきました。 10時を過ぎる頃から、足を動かし出し、 右手で術後のガーゼとテープを剥がそうとしきりに動きはじめました。 足につけている足圧器のチューブを外してしまい、 警告音を鳴らすようになりました。 無意識で動いているので、止めてもまたすぐに動き出します。 経口の眠剤を飲ませていただき、 30分ほどで大きな寝息を立て始めました。 良かったと安心していると、30分もしないうちにまた動き出し始めました。 眼は半眼で、夢遊病者のような動きです。 何かしゃべっていたり右手を上に突き出し何かを掴もうとしていたり・・・ 聞き取れた言葉は「美味しいご飯が出来るから〜」とか 「カラオケで歌ってきた〜」「餅をついて〜」なんてことをいっていました。 1時半頃、とうとう傷口のガーゼを嫌がり剥がしてしまったので、 看護士さんに取り替えていただき、 点滴による睡眠剤を投与していただきました。 ガーゼ交換の時、傷口を見ることが出来ました。 盲腸の傷口と同じ所に7〜8センチの皮膚のまつり縫いが見えました。 絹糸のような感じの細い糸が、斜めに整列したかのように並んでいました。 そこよりも痛々しかったのは、管を差し込まれた尿管です。 血液が出た跡があり、強制的に横に引っ張られているその姿は可愛そうでした。 体制を整え、眠りモードになったのが2時ごろ その後は、ピクリともせず、眠っていました。 やはり、2時間で眼が覚めるようです。 4時半には、ずり落ちてきた身体をもう一度きちんと寝せなおして、 再度、眠りの中に落ち込んでいきました。 今日は、体のあちこちから出ているチューブが外されるそうです。 お昼には食事も出るそうです。 歩く練習(リハビリ)も始めます。と言っていました。 ***************************************** 午前中に酸素マスクと尿管のチューブと点滴が外され、 自力でトイレに行く事ができた。 ベッドに戻って横にさせてすぐに、ベリベリっという音がした。 自分で背中の痛み止めチューブを外してしまったらしい。 すぐに看護士さんと執刀医がかけつけてくれた。 「状態をみて、痛みが出たら他の方法に変えましょう」と。 傷口の様子を見たら、糸ではなくホッチキスの針のような、 金属のもので留められていた。 うっ血して周囲が腫れている。 昼食から普通食が出た。内蔵関係ではないので量も多め。 午後はほとんど寝ていた。 時々起きては「いこうよ」「帰ろう」などと言い出す。 病院にいるということが理解できていない様子。 普段からどこにいても、そこがどこか理解できないのだから、 しかたない事なのかもしれない。 外れているはずの酸素マスクを外そうとする仕草が何度もあった。 夕食もちゃんと食べることができた。 夕方仕事帰りの姉に看てもらい、必要ないものを自宅に持ち帰る。 午後8時に戻ると、父は寝ていた。姉と交替して泊り付き添い。 夜10時30分と12時に起きだして、トイレに行く。 相変わらず場所を記憶していないので誘導する。 ■ショートステイ2004/7/3(土) 手術後徘徊をすると大変なことになりそうなので、 ショートステイを以前に申し込んでおいた。 今回は7日(水)までの5日間。 朝起きて父を確認しに行ったらベッドで熟睡していた。 教室に折りたたみの机を並べて、座布団も6枚ほど置いてあった。 深夜書道を教えている妄想をみたらしい。 硯(すずり)には墨汁が注がれていたので、 子供に書道を教えているつもりだった様子。 (大人の場合は墨を磨るので、墨汁は使用しないため) 父が寝ているすきに全部片付けて、ショートステイの準備をした。 目を覚ました父に「手術した部分は痛くない?」ときいてみた。 「ぜんぜん痛くないんだよ」と言うのだけど、 痛みが脳に届いていないだけなのか?本当に痛くないのかは不明。 午前7時から外に出てお迎えバスを待つ。 庭に咲いた松葉ぼたんの花を見て「綺麗に咲いたなぁ」と嬉しそう。 午前9時にお迎えの職員の方に詳細を説明して預けた。 ■緊急連絡2004/7/5(月) 朝施設から連絡の着信があったので、何事かとあわてた。 すぐに電話連絡したら、持たせた薬の一部が抜けていたとのこと。 父の病状に変化があった訳ではないとのことで安心する。 最終日の薬をずらして飲ませるようにお願いした。 ■帰宅2004/7/7(水) 午後4時父が帰宅。比較的正常。 傷がどうなっているのか確認してみた。 施設で介護パンツを履かせてくれたようで、 大きなオムツをしているような姿だった。 傷の周りはうっ血して腫れていた。 あちこち押してみたけど痛がらないので大丈夫そう。 明後日の抜糸までは無理をしないようにさせないと。 夕食に蕎麦を出したら喜んでいた。 ■避暑2004/7/8(木) 連日の猛暑で家にいると辛いので、 父を車に乗せて、ちょっと遠くの大きめなスーパーに行った。 買い物をする前にミスドで珈琲を飲む。 久しぶりにドーナッツを選んで父は嬉しそうだった。 退院直後は痴呆症状が進行している感じだったけど、 昨日ショートステイから戻って正常が続いている。 買い物して、トイレに交替で入ることに。 先に父をトイレに誘導。戻って来たので「荷物みててね」と頼む。 慌てて済ませて父の所に戻ると、荷物のカートを持って同じ場所に居た。 行方不明になっていない分、今日は妄想を見ていないらしい。 昼食は蕎麦とうどんの専門店に入り、定食を頼んだ。 父は「ここは払うから」と自分の財布を出して支払ってくれた。 「ごちそうさま。美味しかったね」と言うと嬉しそうだった。 自分で支払いたいというのがあるんだろうな。 父のお財布に、こっそりお札を追加しておいた。 家に戻って体全体をタオルで拭いた。 患部まわりのうっ血が薄くなっていた。 その後仰向けに寝かせてヒゲソリと鼻毛を切った。 明日は午前中に抜糸の予定。 ■抜糸2004/7/9(金) 午前9時に病院へ連れて行き、抜糸。 金属をパチンパチンと外した。傷口は塞がっていたけど、まだ開きそうな感じ。 患部にガーゼ付きの透明フィルムを貼ってもらった。 便秘などで下腹部に力をいれると腹水などが出る可能性があるらしい。 入院中に飲ませてもらった薬を処方してもらうことに。 マグラックス錠330mg 食後1錠 (胃酸を中和して胃酸の働きを抑えたり、便通をよくする薬) 二週間後の23日(金)に診察の予約をして、 病院の隣にある薬局に処方箋を持って行く。 薬を受け取ってスーパーに避暑に行った。 歩いても痛みがないらしいので、しばらく涼んでから帰宅。 明日10日(土)〜14日(水)までのショートステイの準備をこっそりした。 ■ショートステイ2004/7/10(土) 朝父を起して全身を拭く。患部のフィルムをはがした。 こぶのように盛り上がっていて、まだ腫れている。 あちこち押してみたけど痛みはない様子。 (痛みが感じないのかどうかは不明) 仰向けに寝かせてヒゲソリをした。 夜中起きて2回以上食事をした跡があった。 眠そうなので迎えが来るまで寝かせておいた。 迎えに来た職員の方に入浴OKと伝える。 14日(水)までのショートステイ。 ■帰宅2004/7/14(水) 午後4時帰宅。 「今日行ってた会社も大変らしいんだよ」と施設のことを言っているらしい。 送迎の車が道に迷ったので教えたとか、それなりに考えて会話することが出来る。 自宅に戻ったという自覚はあるらしく、私のことも名前をちゃんと呼ぶ。 ショートステイのメモにも体調は良いと書かれてあった。 夕食後仰向けに寝かせて身体を拭くついでに傷を見せてもらった。 傷口は塞がっていて、上部に少し腫れが残っている。 ぐいぐい押してみても「痛くないんだよ」と言うので経過は良さそう。 自分からトイレに行くことが出来た。 ■封筒2004/7/15(木) 朝父が「切手はあるか?」と封筒を持ってきた。 宛先が30〜40年前の職場の上司になっている。 「体の調子が悪いので2日休ませて下さい」と書かれていた。 父の記憶は過去にさかのぼっているらしい。 一日中妄想と思い込みを続けていた。 箱を取り出して「ここの部落の重要なものが入っているんだ」と言い出す。 部落なんて言い方は父が育った田舎の感覚らしい。 箱の中に何も入っていないことを確認すると不思議そうな表情をした。 回覧版のように隣に食事を廻さないといけないと思い込んだり。 実害がないので好きに妄想させておいた。 ■近所を徘徊2004/7/16(金) いつもより遅く起きて来た父はまだ夢の中にいる様子。 目が半眼になっているので普通じゃないというのが解かる。 寝たり起きたりを繰り返して過ごしていた。 午後ヒゲソリをするついでに全身を拭く。 傷の周囲はまだ腫れているので押してみた。 痛みはない様子。 午後4時過ぎ、ちょっと目を離したすきにいなくなる。 慌てて近所を探し回った。 近所の方が父を見かけたと教えてくれたので、その方向に走った。 遠くに父が歩いているのを発見。 他人の家の駐車場に入っていくのが見えたので全速力で走った。 やっと追いついて連れ戻した。 本人は散歩のつもりだったのか、説明できないらしい。 2日連続で家にいると妄想と徘徊がひどくなる。 ■クレンザーで歯磨き2004/7/17(土) 徘徊防止のために飲ませた眠剤が効いたようで、 父は午前8時になっても起きてこない。 様子を見に行くと熟睡していた。 起して朝食を食べさせた後、「歯磨きしておくといいよ」と言ってみたら、 目を離した隙に液体クレンザーで歯磨きしていた。 あわてて止めて、うがいさせる。 危ないので目につく場所からクレンザーを隠した。 物の認識がおかしくなっていると、想像もできない事をやってしまう。 午前9時にお迎えバスに嬉しそうに乗り込んだ。 午後4時帰宅。町内のお祭りに連れて行く。 ご近所の知り合いに久しぶりに会えたのが刺激になったのか、 少しまともな様子で座っている事ができた。 すぐに飽きて帰り仕度をはじめたので、連れ帰った。 ■夏祭り2004/7/18(日) お祭りの当番班なので、父の世話を姉に頼んだ。 午前9時に姉が来てくれて預けて出かける。 午後お祭りが早めに終わったので家に戻った。 父は姉が用意してくれた座椅子に座って嬉しそう。 床のマットも夏のものに取り替えてくれた。感謝。 その後寝たり起きたりを繰り返していた。 夜徘徊しそうな感じだったので眠剤を飲ませて寝かせた。 ■ショートステイ2004/7/19(月) 朝7時に起して朝食を食べさせた。 準備をしてお迎えを待つ。 外に出て待っていたらお迎えバスが通過してしまった。 信号で止まった所で運転の職員さんに確認すると、 もう一台別の車が来ると施設に確認してくれた。 利用者が多い日は複数の車でお迎えしているらしい。 乗せてもらえなかったので心配そうな父に、 「違う車が来るから、もう少し待っててね」となだめる。 しばらくしてお迎えバスが来た。 父は嬉しそうに乗り込んだ。 21日(水)までのショートステイ。 ■帰宅2004/7/21(水) 午後4時帰宅。 いつものように何をしたか訊いてみた。 「やっと休暇が取れて来る事が出来たよ」と。 会社に行っていて、休みが取れなかったと思っているらしい。 自宅に帰って来たというより、別の施設に移動したという感覚なのか? 「他の人の服を盗んだって言われてさ。盗むわけないから困ったよ」 「いろんな人がいるから大変だったね」と言ってみた。 同じような症状の人と勘違いから盗られたと思い込みがあるんだろうな。 ■ケアマネさん訪問2004/7/22(木) 朝起きて父を確認しにいくと、熟睡していた。 昨日の眠剤が効いたのか、徘徊せずに家にいた。 起きて来た父は「病院はいつだっけ?」と言い出した。 昨日家に戻った時に金曜日に術後検診に行く話をしたのを覚えていたようで。 「金曜日に行くから、明後日だよ」と伝えると、 「何時なんだ?」と時間を気にしていた。 ヘタに時間を言うと今日から病院に行きそうになるので、 「明後日だから気にしないで」と言ってみた。 父は納得したのか部屋に戻った。 午後1時ケアマネEさん訪問。来月の予約を確認する。 父が利用している施設は比較的ショートステイの予約が取りやすい。 ケアマネEさんの話だと「他の施設を利用してる人は苦労してる」と。 特別養護老人ホームの予約状況に進展がない。 また8月に介護度の調査が来るらしい。 途中で介護度が変更になっても、半年という単位は変わらない。 7月はショートステイを多めに利用していたけど、8月はちょっと少なめ。 そのかわりデイサービスを多めに予約した。 夕方外で草むしりをしていたら背後に父が立っていた。 「誰がやってるのかと思ったよ」って誰だと思ったんだろう? ■病院検診2004/7/23(金) 鼠径ヘルニアの術後検診が午前10時から。 時間の約束が出来ない父に一昨日から病院へ行くと話してあった。 朝はりきった父は長袖のワイシャツに着替えて、 「これでいいか?」と訊いて来る。 出かけるならきちんとした服装をしないとと思ったのか、 冬物のダウンのジャケットまで用意していた。 「夏だから半袖にしようね」と着替えさせた。 歯磨きとヒゲソリをさせて、お茶を飲ませた。 病院にて検診。術後の経過も良く問題なしとの診断。 お昼にファミレスにて昼食を取る。 食後に昔話をしてみた。 記憶が混乱するのは引き出す能力が低下しているのだと思い、 何回も聴かされた若い時の話をさせてみた。 「仕事で転勤や移動があったんでしょ。どこに最初に行ったの?」 というのをきっかけに、父が就職してから現在までの仕事と、 転勤場所などを思い出してもらった。 青森の八戸→愛知の豊川→愛知の蒲郡→栃木の宇都宮 →北海道の滝川→栃木の宇都宮→自宅で書道教室 その土地の話を一生懸命思い出している。 たしか東京にもいたことがあったはずだなぁと思ったけど、 それは思い出さなかったようで。 「こんな話他の人とじゃ出来ないから、良かったよ」と 父が嬉しそうに言ったのが、私も嬉しかった。 たまに自分の過去を思い出してもらって、記憶の整理するといいのかも。 その後買い物して帰宅。 ■ショートステイ3日間2004/7/24(土) 今日から26日(月)まで3日間のショートステイ。 朝準備していたら、あいかわらずのボケぶり。 Tシャツを重ね着してズボンのチャックからシャツが出ていた。 本人は大真面目に「これでいいか?」と訊いて来る。 シャツを脱がせて新しいシャツに着替えさせた。 「この前いいかげんなことするもんだから、 怒っちゃったんだよ」と唐突に話をしはじめる。 「誰がいいかげんだったの?」と訊いてみると、 「車に乗せてくれなかったり、休みのはずなのに、 他の人だけ休みで俺は休み取れなかったんだ」と。 想像するとショートステイから帰宅する事を父は「休み」と思っているようで、 他の人は帰るのに自分は帰ることが出来ないということを言っているのか? 「そっか〜大変だね。いろんな人がいるからね」と言っておいた。 午前9時に迎えが来るまで2時間も待っている。 楽しみにしているのか、行かなければという義務感なのかは不明。 父が出掛けた後、やっとほっとすることが出来た。 ■帰宅2004/7/26(月) 今日は父がショートステイから帰宅する。 午前中に薬を一日毎に小分けした。 夕方雨が降リ出したので傘を用意して待つ。 午後4時過ぎ帰宅。 「施設の3ヶ月計画書に捺印してください」と 職員さんから書類を渡されたので捺印して渡す。 父は洗濯物の袋を見て「それは鳥かごか?」と言い出す。 連絡メモに「夜廊下を歩いていた」と書かれている。 あいかわらず夜中に徘徊しているようで。 寝かせてヒゲソリをしたらそのまま熟睡していた。 ■外に連れ出す2004/7/27(火) 朝起きた父は長袖を着ていた。夜中起きだして動いていたらしい。 脱がせて半袖を着せたら、また寝てしまった。 午前10時に起きて来たので、お茶を飲ませた。 「お昼は外に食べに行こうか?」と誘ってみると、 「たまにはいいな」と嬉しそう。 時間の約束をすることが出来ないのは解かっているけど、 起きたらすぐに何かを食べようとしてしまうので、 「それまで食べないで待っててね」と念を押した。 午前11時に父を連れ出す。 先日行ったファミレスで食事。 父は「こんな所に来た事がないよ」と言う。 最近の記憶が混乱するのはしかたないんだろうな。 施設の泊りの様子を訊いてみた。 「朝起きてご飯食べたらピーピーなる掃除機で掃除するんだ。 お昼食べたあと仕事するんだよ。手を動かす運動して、 首をまわしたりして、その後カラオケで歌うんだ。 夕飯食べたら帰る順番に名前呼ばれて、 ただでお金かからない車に乗って帰るんだよ」 泊りの仕事に行っていると思い込んでいるのが面白い。 「知り合いとか(書道の)生徒さんは来てるの?」と訊いてみた。 「大人は来ないけど、子供がいっぱい来てるんだ」と。 職員の方を生徒と思っているのか、妄想で子供が見えるのか。 家から新聞とメガネを持って行ったので、食後読ませる。 文章を読むというのは出来ないようなので、 記事を指差しながら読み聞かせをした。 すぐに飽きて「帰ろう」と言い出したので出ることに。 近くのスーパーで買い物をして帰宅。 座椅子に座るとすぐに熟睡していた。 ■ショートステイ2004/7/28(水) 今日から8月2日(月)まで6日間のショートステイ。 7月は鼠径ヘルニアの術後経過と徘徊が心配だったので、 かなり多くショートステイをお願いしてあった。 そのお陰で行方不明防止になったようで。 (一度仕事と思い込んで行方不明になったけど) 朝父のシャツを脱がせて新しいシャツを着せたら、 すぐにそのシャツを脱ごうとする。 また着せて迎えが来るまで座椅子で寝かせた。 午前9時過ぎにお迎えバスに乗り込む。 もちろん泊りということは父には伝えていない。 職員の方に月曜日までというのを確認して送り出す。 |