SEO対策




育老日記・痴呆の症状と向き合う備忘録



■父の様子2004/6/3(木)
 姉がショートステイ中の父の様子を見に行ってくれた。
以下姉のレポート。
*************************
ショートのスペースに鍵を開けてもらい、入りました。
丁度、夕食の準備をしていた所で、
廊下の窓外から部屋の中をのぞきました。
食堂となっている部屋では6〜7人の老人と
4〜5人のスタッフが忙しそうに動いています。
2〜3人のおばあさん達は運ばれてきた食事を食べていました。
父は大きなビニール製の前掛け(涎掛け)をして、
4人掛けのテーブルに一人ですわり、
奥で配膳するスタッフの動きをじっと見ていました。
お盆に載せた食事が運ばれてくると、
その前掛けを邪魔そうにはずし、箸をとりました。
私は、気づかれぬよう死角からみていましたが、
顔を見られると「帰る」と言いそうなので、
会わないように(見えないように)しました。
スタッフに父の様子を尋ねると「タクシーを呼んでくれ!」と、
大声をだしたりしているそうです。
寝ている所は病院の大部屋と同じ広さで、
6人部屋に5人分のベッドが。
入り口に大きな字で名前が書いて(貼って)あります。
男女同室と言っても、元男女・・・って感じだけど。
その部屋と同じような部屋が隣にもあって、
そこは2人しか名前がありませんでした。
夜の徘徊は相変わらずで、自分のベッドがわからず、
他のベットで寝ていたりすることもあるそうです。
ただ、穏やかにしているようだけど、たまに思い出したように、
「家に帰る」と言い出し帰ろうとするらしいです。
食事の後は、しばらくはその部屋で過ごすんですって。
食べて、寝るだけだからね。
早く慣れてくれればいいのですが・・・
特養のほうは個室だし、家族が自由に出入りできるから、
また感じが違うと言っていました。
*************************
■鼠径ヘルニア2004/6/2(水)
 施設の看護士さんから連絡で、
「鼠径(そけい)部が痛むと言うので、診て見たら、
かなり大きな(大人のこぶし大)の鼠径ヘルニアがあるので、
手術をしたほうが良いかもしれません。」と。
鼠径ヘルニアの原因を調べてみた。
◆年齢と共に鼠径部を支持する組織が弱くなることが主な原因。
長時間の立ち仕事や、立ったままの姿勢で生活すると起こりやすい。
・・・これって、いつもうろうろしたり、
月曜の深夜のように6キロも歩いたりってのが原因ではと思った。
◆症状は身体を横にすると自然に消えたり、手で押さえると腸が腹腔内に戻る。
腸が脱出したまま戻らない「かんとん」と呼ばれる状態で、
長時間放置すると腸が血行障害を起しやがて壊死して腹膜炎になる。
一般的に成人の場合は手術する。
ヘルニアバンドなど一時しのぎの方法もあるが、
処置であって治療にはならない。
来週火曜日以降、病院に連れて行く予定。

■帰宅2004/6/7(月)
 午後4時父が帰宅。8日間のショートステイだった。
トイレの位置を思い出せないようなので教える。
お茶を飲みながら泊りの内容を聞いてみた。
「雪が降っていたから草津温泉だったよ」と。
相変わらずどこに泊っていたかは理解していない。
「兄貴は元気かな?」と言い出すので、
「伯父さんは去年の7月に亡くなったんだ。
お葬式にお父さんも行ったよね」と言ってみると、
「ああ、そうだなぁ。死んだんだなぁ」と。
ヘルニアの症状を聞いてみた。痛みが出る時もあるようで。
ズボンのチャックを開けて見せようとする。
「きちんと治さないと温泉で楽しめないから、
病院で検査して手術して入院になるかも。
歩きまわると痛くなるから散歩しないように」と話した。
「部隊の若いのが交通事故で車にキズをつけたんだ。
今日はその処理してたんで大変だったよ」と妄想話をする。
■名簿破棄2004/6/5(土)
 父がいない間に書道の名簿などを大量に破棄した。
月謝を書き込んだノートなどもまとめて紐で縛った。
昔の写真を見ると今の倍くらいの体重があって、
恰幅のいい政治家みたいな姿が写っている。
施設で撮影された最近の写真と比べると別人のように感じた。
■変わらずボケてる2004/6/8(火)
 深夜父が出かけようとしていた。
ポロシャツにネクタイを締めて、首にタオルを巻いていた。
ジャージのズボンにベルトをしている。眠剤を飲ませて寝かせた。
朝起きて来た父はセーターを着ている。
脱がせてTシャツに替えさせた。
その後ズボンの上にパンツを履いているので脱がしてみたら、
ズボンの中にパンツを2枚重ね履きしていた。
午前11時、検査の為に病院へ連れて行く。
待合室で待っていると姉が様子を見に来てくれた。
姉に私がどこに行ったかと聞いたり、
私に姉のことを「あの人は同じくらいの年か?」と聞いたり。
娘だという記憶が欠落している。
検査結果は緊急じゃないらしいので後日外科にCT映像持って行くことに。
午後帰宅して遅い昼食。
食べ終わるとTVの前に布団を持ち出して包まって寝てしまった。
■部屋に大根2004/6/9(水)
 デイサービスの準備をしていたら父が部屋の一箇所を見ていた。
「大根があるんだよ」と言いながら触っているのは毛布だった。
色が白っぽいので大根と思い込んだらしい。
午前9時お迎えバスが来てもぼーっとして動こうとしない。
スニーカーを履かせて、車に乗せた。
■外科と徘徊2004/6/10(木)
 父の鼠径ヘルニアを近くの大きな病院でみてもらった。
主治医の紹介状とCT撮影した画像を持参する。
常時ヘルニアが出ている状態。手術するならしますか?ということで、
月末頃に入院手術する予定で検査をした。
血液・尿検査と肺活量検査と心電図とレントゲン撮影をした。
一人で服を脱いだりベッドに仰向けになることが出来ないので介助する。
来週月曜日に父抜きで、検査結果を踏まえて手術日を決めることに。
準備と経過を見る関係で5日くらいの入院になりそうだけど、
夜徘徊することなどがあると個室で付き添いが必要になりそう。
父は「痛くないうちに治した方がいいな」と納得した様子。
夜7時、父がどこかに出掛けようと家の前の道路にいたのを発見。
服が裏返しで後前逆に着ている。家に戻して服をきちんと着せた。
「ヘルニアがあるから散歩しないように」と言ってみると、
一応納得したフリをして、また歩き出そうとする。
自分がしたいことが出来ないのが不満だったらしく、
「年金が入ってるのか見に行こうとした」とか、
「自転車も電話も使えない。何も出来ない」と言い出す。
こんな話を持ち出す夜は徘徊しそう。寝かせて様子をみる。
9時30分予想通り「家に帰る」と言い出す。
1時間後納得しない父に家に帰ってもらうため外に出した。
近所の商店の看板を読ませて家の近くだと解からせて、
Uターンさせたら家に戻れた。ため息が出る。
■家に帰る2004/6/11(金)
 朝から父は「家に帰る」とでかけようとしていた。
昨日から家に帰りたいというのを引きずっている。
「他に家があるなら帰っていいよ。どこにあるの?住所は?」と聞くと、
考え込んでノートに何か書き始めた。
行動を理解しようとする方が無理なのかも。
文字らしきものを筆で書いて、飽きて横になった。
父は別の家で長い間生活していたので、その頃に戻りたいのかも。
午後雨になってまたでかけようとしているので、
「傘さして行かないと濡れちゃうよ」と言ってみた。
外の様子を伺って「行かないよ」と笑う。
今日は1時間毎に「家に帰る」を繰り返していた。
■裏返し2004/6/12(土)
 朝父が家にいたのでほっとする。 起こしてデイサービスの準備をした。
夜中ズボンを一度脱いで履きなおしたらしく、また裏返しに履いていた。
一人で服を着るとおかしな格好になる。
午前9時、迎えの職員の方に鼠径ヘルニアの状態と月末手術予定を伝えた。
父は自分からカバンを下げてバスに乗り込む。
午後4時帰宅。父は「今日書道の話したんだよ」と嬉しそう。
「さっきの人(バスを運転していた職員さんか?)の子供が書道やっててさ、
なかなか上達しないからコツを教えてくれって言われたんだよ。
だから、誉めて伸ばすのがいいんだって話したんだ」と、
珍しくまともな事を言った。
父が書道を教える時に良い所をみつけて誉める指導をするようにと教えてくれた。
出来ない時はどうすれば出来るかをじっくり教えて、
書かせてみると更に良い作品が書けたりしたというのを思い出した。
痴呆症の症状が出てから父の出来なくなった部分ばかり目についていたけど、
まだ出来ることを誉めると嬉しそうだった。
父も悩んだり喜んだりというまともな部分がまだまだあるのだから、
少しくらい変な行動しても出来る事を誉めてあげたい。
■蕎麦2004/6/13(日)
 午前中姉が様子を見に来てくれた。
おもちゃの町の「美里庵」に蕎麦を食べに行った。
父が財布を用意していたので、支払いを父にしてもらい、
「美味しかった。ごちそうさま」と言うと嬉しそう。
姉が来てくれた効果で今日は比較的正常だった。
■入院日決定2004/6/14(月)
 父をデイサービスに送り出した後、
午前9時過ぎ病院で入院の打ち合わせをする。
先日の検査で尿たんぱくが出ているようなので、
22日(火)に再検査をして状態をみることに。
入院は28日(月)から。次の日かその次の日に手術。術後観察で約5日くらいで退院。
その後お風呂に入らなければデイサービスもOK。次の週に抜糸の予定。
ケアマネEさんに連絡して入院中のデイサービスをキャンセルした。
■買い物したい2004/6/15(火)
 突然父が「買い物に行く」と出かけようとしていた。
何を買いたいか聞いたら「パンとか米とか牛乳とか」とあるものを言うので、
買い物をするということがしたいのだろう。
痴呆症になると理性とか常識が無くなって変な言動をしたりする。
知人から果物を頂いたら「今までくれたことなんかないのに」と言ったり、
「変な頭しておばけみたいだ」と言ってみたり。
普通の大人は思った事をストレートには言葉にしない。
父は自分が発した言葉で相手が傷つくとか、
誤解を生むなどとは考慮出来なくなっている。
午後3時、歩いて近所のスーパーに行こうとしたら、
「(鼠径ヘルニア部分が)ちょっと痛い」と言い出したので戻った。
夕方4時にお腹減ったからとご飯を食べたのに、
夜10時30分過ぎにまた食べていた。
■ショートステイ2004/6/16(水)
 今日から土曜日(19日)まで父のショートステイ。
今回も父には泊りという事を伝えていない。
朝父を確認しに行ったらベッドに斜めに寝ていた。
起して朝食を用意しようとしたら「さっき食べたよ」と。
炊飯器を開けて中身が減ってるのを確認する。
あいかわらず外に出てお迎えを待っている。
午前9時過ぎにお迎えバスに乗り込んだ。
■幸せな妄想2004/6/19(土)
 午後4時父が帰宅。感想を聞いてみると、
「新聞に載ってさ。表彰されたんだよ」と。
ショートステイの何かを話しているらしいのだけど、想像がつかない。
嬉しそうに話しているので、楽しかったようで。
庭を眺めていたかと思ったら「隣が燃えてるんかな?」と言い出す。
「燃えてないし、煙も出てないよ」と確認させた。
今度は「そこにいるのはニワトリかな?」と何かを見ている。
いろんな妄想を見て楽しそう。
父のお腹はぽっこり出ていて、ちょっと太った感じがする。
■継続する妄想2004/6/20(日)
 午後下着のシャツを後ろ前逆に着たまま、
父は家を出て歩き出した。あわてて後を追った。
「散歩に行くなら帽子被らないと日射病になるよ」と家に戻して、
シャツを脱がせて新しいシャツを着せた。
靴下に書いてある名前をじっと見て「釣り針が入ってるんだ」と言い出す。
「名前が書いてあるだけだよ」と確認させた。
「そこにいる若いのが計算終わったっていうから帰るよ」と、
妄想を見ている様子。誰もいない空間に父に見える若い人がいるらしい。
今日の日付を聞いてみると「平成29年」と言う。
「昨日書いてた作品は出来上がったのかな?」と紙と筆を渡した。
しばらく文字のような絵のようなものを書く。
2枚書いて飽きてしまったのか放り投げて横になっていた。
夜暗くなってからも何度もどこかに行こうとするので止めた。
「診察受けに行く」とか「紙を取りに行く」と
その時思いついた理由を言いながら歩きだしてしまう。
半眼になっているので妄想を見ているらしい。
その度に戻して寝かせた。
■死んだはず2004/6/21(月)
 朝から妄想を見ているらしい父が変な事を言い出した。
「俺は死んだはずなのに不思議だなぁ」と。
「今息してるし、死んでないじゃん。いつ死んだの?」と聞いてみると、
「おとといかな。不思議なんだよ。朝起きたらわんちゃんがいてさ。
ご飯あげたら食べたんだよ」と話が違う方向に。
髭が伸びていたので仰向けに寝かせてヒゲソリをした。
「顔洗って来て」と指示すると自分で顔を洗う事が出来た。
午前9時お迎えバスに乗り込んだ父は、しばらく手を振っていた。
午後4時30分、雨の中帰宅。
台風の話をする事が出来たので、少しはまともかも。
夕食後しばらくTVを見ながらベッドに横になっていた。
様子を見ていたら何か喋っている。
半眼で眼球が動いているので夢か妄想を見ているらしい。
■入院打ち合わせ2004/6/22(火)
 午前10時30分病院に連れて行く。
血液・尿検査の結果、腎機能が多少弱っていると。
手術には問題ないだろうということで、
来週火曜日の29日に入院することになった。
今後の予定:
23(水)〜25日(金)ショートステイ
26日(土)デイサービス
27日(日)伯父の一周忌法要に連れて行く
28日(月)デイサービス
29日(火)入院
30日(水)麻酔科の説明・手術
2日(金)退院
手術の一週間後に抜糸
夜10時に出かけるような服装で起きて来た。
「10時30分に迎えが来るんだよ」と言い出す。
父は今日の診察時間を記憶していて、
夜の10時30分に何かがあると思い込んでいる。
時間の約束や予定を話すとそれが記憶の中で混乱するらしい。
気付くと真っ暗な庭に出て立っているので、部屋に戻した。
眠剤を飲ませて寝かせることに。
独り言を延々話していたので様子を見に行ったら、
床にうつ伏せの状態で眠り込んでいた。
■ショートステイ2004/6/23(水)
 朝様子を確認しに行ったら、無事にベッドに寝ていた。
昨日の眠剤が効いたのか熟睡していたのでしばらくそのままに。
午前8時に起して朝食を食べさせて歯磨きさせた。
横に寝かせてヒゲソリをする。つるつるになって喜んでいた。
時間がまだあったので寝かせると、すぐに熟睡した。
午前9時お迎えバスが来る直前に起きてきて乗り込む。
25日(金)までショートステイなので、少しは気楽になれそう。
■帰宅2004/6/25(金)
 午後4時帰宅。
ケアマネEさんの訪問があったので、父は機嫌が良かった。
「体の具合はどうですか?」と訊かれて「どこも痛くないんだ」と。
来週火曜日からの入院と来月の施設利用を確認する。
その後父に「お泊りどうだった?どこに泊って来たの?」と質問してみると、
「いつも行ってる旅館に泊ったよ。皆で行ったことある場所だな」って。
施設の職員さんが書いてくれた連絡メモには、
「夜間眠れないのか廊下を歩くことがありましたが、
ベッドに誘導するとその後は良眠されてます。」
施設でも毎晩徘徊しているらしい。
父は私に「何度も電話した」と言っていたので理由をきくと、
「部隊が移動になるから準備しなきゃ」と数十年前に戻っている。
夕食前にTVを見ながら寝てしまった。
■朝から妄想2004/6/26(土)
 朝起こそうとしたら、早朝起きだしてご飯を食べたらしい。
ベッドで熟睡しているのでそのままにしておいた。
デイサービスの準備をしている間は寝かせておくことに。
目が覚めた父は「今日はお休みするよ」と言い出す。
デイサービスに行きたくないのかと思ったら、
準備しておいたバックを持ったりしているので違うらしい。
半眼になって、まだ仕事をしている妄想を見ている様子。
説明しても通じないようなので、仰向けに寝かせてヒゲソリをした。
そのまま迎えが来るまで寝かせる。
午前9時にお迎えバスに嬉しそうに乗り込んだ。
■一周忌2004/6/27(日)
 伯父の一周忌法要に父を連れて行く。
痴呆症の発症からちょうど一年経った。
出かける直前に「岩船で一周忌があるから連れて行くね」と話す。
これを前日に話したりすると、歩いて行こうとするので大変。
喪服を着せて父の実家に行く。
東京や牛久の伯父達もすでに着いていて、
父は久しぶりに会えた兄弟を見て嬉しそう。
巻物を大量に持って行ったので、伯父達に分けた。
家に置いておくと赤ペンで訳の解からない文字を書いたりして、
処分するだけなら形見分けを先にしておこうと思ったので。
法要も介助してどうにか大丈夫だった。
お墓にお参りした後、会食。
食事が目の前にあると待つ事が出来ない。
伯父が挨拶している間に箸を持って食べはじめてしまった。
カラオケが出来るということで、父は歌うことに。
さすがに歌詞を追って歌う事ができないので、
伯父が隣に立って一緒に歌ってくれた。
涎が出てしまうので、タオルで拭き取った。
伯父達がトイレに連れて行ってくれたり、
歩くのを支えたりと父を気遣ってくれたのでありがたい。
実家に戻って昔の写真を見せてもらったりしてくつろぐ。
午後5時帰宅。部屋に入ったと思ったら10円玉の入った缶を持ち出す。
「自衛隊に入る入場券を買うんだ」と外に出ようとする。
車で帰宅途中に夢を見てまたおかしくなったのだろうか。
■ハラキリ2004/6/28(月)
 朝デイサービスの準備をしていたら父が起きてきた。
「ハラキリするのはいつなんだ?」と言い出す。
「症状が緊急じゃないから、今日は切らないよ。
明日入院して、明後日手術の予定だからね」と話してから、
未来の話をすると今日から行動しちゃうかもとあせった。
「股が痛むとか、辛いとかって感じある?」ときいてみると、
「ぜんぜん痛くないんだよ」と股をさすっていた。
「今日はお迎え来るから温泉で遊んできて、
カラオケやったりして楽しんできてね」と話題をそらした。
午前9時お迎えバスに嬉しそうに乗り込む。
ケアマネEさんから「追加のショートステイ予約が取れた」と連絡が。
2日に退院したあと徘徊してしまうと大変なので、
3日(土)〜6日(火)のショートステイをお願いした。
年間の半分以上にならなければショートステイを利用出来るらしいので、
7月は多めに頼んである。
術後の経過によっては予約のキャンセルや追加をお願いすることになるかも。
■入院2004/6/29(火)
 今日から父は鼠径ヘルニアの手術のため入院。
退院は7月2日(金)の予定。
徘徊があるので、付き添いをする予定。
午後手術をする部位の体毛を剃る。
一階売店にてT字帯を購入。担当看護士さんに渡す。
医師の説明および同意の記録を元に執刀担当医から説明があった。
同意書にサインと捺印をする。
その他、輸血同意書・入院診療計画書・介添許可申請書などにも、
同じくサインと捺印をした。
主治医の処方薬をそのまま使用するということで提出。
午後9時消灯。父に眠剤を飲ませた後、
1時間くらい見えない誰かと会話していた。
■手術2004/6/30(水)
 夜中何度かトイレに付き添う。
その度に戻る方向が解からない様子なので教えて部屋に戻した。
午前6時トイレにて浣腸をしたら調節する機能が弱っているので、
履いていたズボンとパンツが薬液で汚れた。
午前10時から点滴を続けて二種類する。
午後2時手術室に入り、4時部屋に戻って来た。
執刀医から手術の説明をしてもらった。
メッシュを当てないで済んだとのこと。
内蔵や腹膜が丈夫だったとか。
術後経過もよく、酸素吸入と両足の血流マッサージが動いていた。
父は目を覚ました後、何度も酸素マスクを外そうとする。
ベッド脇に置いてあった機械がすごいことになっていた。
心拍数を表示する波形が激しく上下している。
数値も150超えているのであせったら、いきなり330なんて数字に。
単なる機械の故障が判明。いくらなんでもこんな時に壊れないで欲しい。
今夜は交替で姉が看護してくれることに。




にっきに戻る