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育老日記・痴呆の症状と向き合う備忘録



■グループホーム入所2004/12/2(木)
 ※用意するもの
パンツ・靴下・肌着上下・Tシャツ・ジャージ上下
上着・ハンガー・茶碗・お椀・箸・コップ
ハブラシセット・上履き・タオルかけ
電気ヒゲソリと充電器・ゴミ箱

午前中に荷物をグループホームに運び込む。
2階のユニットの一部屋で日当たり良好。
職員さんもいい感じの人だった。

一度家に戻ってから連れて行くと混乱するかと思い、
施設に連絡して早めに動く事にした。
ケアマネNさんに連絡。
施設入所の場合は施設のケアマネさんが担当することになると。
ちょっと残念。Nさんにはいろいろとお世話になったので、
このまま継続して欲しかったけど。
申し込んでおいた特養も今回は選考からはずれて待機になった。

午後3時父を施設に迎えに行く。
お世話になった職員さん達に挨拶。
そのままグループホームに連れて行った。
父は私の事が誰かは解からないまま、
すんなりと施設の他の利用者に溶け込んでいた。
職員さんに後をお願いして帰宅。
帰りの車の中で泣けてきた。

帰宅後、お世話になったご近所に入所の挨拶をした。

■書類作成2004/12/3(金)
 今日はグループホームで施設主治医の検診があった。
まだ健康診断書を提出していなかったので、
いつになるか病院に確認して来週になる事を折り返し伝えた。
書類が届いていたので、記入して捺印後郵送。
入所一時金と今月の家賃を振り込む。
他の諸経費や介護に関わる代金は次月支払う形になりそう。
■ホームの様子2004/12/4(土)
 午前中父の様子をみに行って来た。
父は広間のテーブルに紙を広げてなにやら書いていた。
声を掛けても反応しないで集中している。
しばらく様子を見ていたら、立ち上がって別のテーブルに。
紙を他の利用者さんに配り始めた。
職員さんに名前で反応しないときは「先生」と呼んでもらうと、
反応する時があると伝えてあるので、
父は書道を教えに来ていると思っているらしい。
私と目が合った瞬間にスイッチが入ったらしく、
「なんだ、来てたのか〜」と嬉しそう。
でも名前を呼んだりしないので、誰か知ってる人と思っているらしい。
お茶をいれてもらって、やっとイスに座った。
「用事があるから帰るけど、また来るね」と言ってホームを出た。

午後職員さんから電話が。
父が新聞を読みたいけど眼鏡が無いと言っているらしい。
そういえば眼鏡を持って行くのを忘れていた。
父が電話に出ると「自転車乗って帰ろうと思うんだけど、
どこにも自転車がないんだよ」と言い出す。
午前中に私と会った事も覚えていないらしい。
(誰かが解かっていなかったのだから当然だけど)
眼鏡をホームに持って行き、父に会わずに職員さんに渡した。

※面会時に食べ物などを持ち込む場合は職員に申告。
※衣類や生活用品も申告。

私信:面会は午前9時〜午後8時まで。
入り口のドアホンで2階に面会と伝えてください。
面会人の名前・住所を記入するノートが職員ルームにあります。
面会時には何も持たずに気楽に行って声を掛けてください。
久しぶりに顔を見たら元気になるかも。
■混乱2004/12/6(月)
 市の高齢福祉課に申請を出しておいた、
在宅高齢者家族介護慰労金の支払い中止を連絡した。
父が12月2日付けでグループホームに入所した事を伝えたら、
中止届出の書類を送ってくれるとのこと。
今年10〜11月分と、12月1日が在宅だったので、
12月分は支給されるらしい。
(1日でも支払い対象になるのだそうで)

夕方入所を知らせておいた伯父から電話連絡があった。
父の近況と私の近況を伝える。
「今まで大変だったね」と労ってくれたのが嬉しかった。
落ち着いた頃に父に会いに来てくれるとのこと。

姉が仕事帰りに健康診断書をホームに届けてくれた。
職員さんに「まだしばらくは混乱しているようなので、
会わない方がいいかも」と言われたらしく、
父の様子を遠くから見て来たとのこと。
タオルを持ってうろうろと歩いていたらしい。
ここじゃない何処かに帰ろうとするのは家にいても同じだけど、
慣れてくれる日が来る事を祈るしかないんだろうな。
■筆ペン2004/12/8(水)
 夕方グループホームの職員さんから連絡が。
今月床屋が来てしまって、来年まで来ることがないので、
時間があるときに外出させて床屋で髪を切った方がいいと。
混乱が落ち着いた頃に連れて行こうかな。
持たせた筆ペン2本のインクが無くなったので、
新しいインクか筆ペンがあれば持ってきて欲しいと。
父はほとんど毎日紙に何かを書いているらしい。
職員さんの話だと徘徊や妄想はあるけど、
比較的落ち着いているとのこと。
■お墓参り2004/12/9(木)
 今日は母の命日。ホームに連絡して父を外出させた。
迎えに行くと普通に会話が出来た。
最初にいつも行く床屋に連れて行った。
しばらく伸び放題だった髪を短めに切って、
ヒゲも剃って眉毛も整えたらすっきりした感じ。
その後ホームセンターで筆ペンと替インクを購入。
お墓にお参りした後に和食レストランにて天蕎麦を食べた。
食べながら眠そうなのでホームに戻ってベッドで寝かせると、
すぐに熟睡しはじめた。
他の利用者のおばさま達が父に話し掛けてくれるので、
だんだん会話するようになって来たらしい。
慣れるまではしばらくかかりそうだけど。
父の入浴日は火・金・日の週3回。
本と漢字辞書を数冊持ち込んだのでメモを置いてくる。
帰り際職員さんに様子を訊いたら、
「夜徘徊して別の部屋で寝ていた事が一度ありました。
失禁があるのでパットを使う日があります。
夕飯の後に家に帰ると言うことは頻繁にあります。」と。
家に居た時とあまり変わっていない感じ。
■ホームから連絡2004/12/10(金)
 夕方6時30分、ホームから連絡があった。
父のお世話になっているグループホームは、
9人に対して日勤2人、夜勤1人という体制。
夜勤の職員さんが日勤の方からの申し送りで、
様子を家族に連絡しておくようにとのことだったらしい。

「昨日の夜一晩起きていて徘徊していたので、
今日は朝からぐったりしていました。
バイタルをはかってみると血圧がちょっと高めで、
心拍も速い状態でした。
朝ご飯とお昼ご飯は食べたようです。
ソファーにだらんとして涎が流れていたので、
職員2人でベッドに運んで寝かせました。
私が交代した後に声かけには反応したのですが、
夕飯は食べずに寝ている状態なので連絡してみました。
そんな状態なので今日はオムツしていいですか?」と。

父が一晩中徘徊したのはホームでは初めてらしく、
昼間脱力している姿も初めてだったようで。
施設によって対応がいろいろなんだなぁと痛感。
■昏睡で搬送2004/12/11(土)
 朝早くホームからまた連絡があった。
まばたきしているが呼びかけに反応が無いのと、
熱が38度以上あってイビキをかいていると。
姉にも連絡して午前9時にホームに行ってみた。
職員さんがホームの主治医に連絡をした所だった。
父の部屋に入って様子を見たら昏睡している。
どうみても普通じゃない。
昨日からこんな状態でしたという職員さんに、
これは普通の状態じゃないと判断は出来なかっただろう。
すぐに救急車を呼んでもらって大学病院に搬送してもらった。
(父の主治医は大学病院から出向している)
救急隊員の呼びかけにも反応しない。
右手が硬直していて、身体の左側がだらんとしている。
胸を強く押しても反射しない。
両目とも左側を見るような形で見えていない様子。
救急車は、およそ15分で大学病院に着いた。

父の主治医が救急外来に来てくれて、処置と検査をする。
CTとMRIの画像で判断すると、大脳にダメージがあるらしい。
左脳にも小さな梗塞が出ていたが今回の症状に影響するものかは、
調べてみないと解からないとのこと。
熱の原因は不明。急激な血圧の上昇と下降や、
脳梗塞から動けない状態で気管に痰などが詰まって、
肺炎などを誘発したのかも。
意識障害・全身硬直・左共同偏差
入院2〜3週間予定。
昏睡状態から覚めないまま病室に搬送して、
鼻から薬を入れるチューブを挿入。
酸素マスクと点滴をつけて、定期的に血圧を測る機械がついた。
完全看護なので付き添いは必要ないのだけど2〜3日は心配だから、
今夜は姉が付き添い泊り。明日私が付き添い予定。
■身体が動いた2004/12/12(日)
 姉が泊まり付き添いをしてくれた。
朝病院に行ってみると症状がちょっと改善していた。
右手の硬直がなくなっている。
首から背中にかけて棒のように硬くなっていたのも、
少し柔らかくなってきていた。
姉が足の裏のツボを刺激すると反応するようになった。
動かなかった左側も、刺激に対して大きく動いた。
「まばたきしてみて」と言ってみると、数回まばたきをする。
意識は混濁しているけど、昏睡状態ではなくなってきている。
時々痰が喉に詰まって、うなるような声を出すようになった。
2時間毎の痰吸引で辛そうに眉を歪める。
少しは快復してきているのだろうか。
血圧は150〜160くらいに下がって、
体温も37度くらいに下がった。
まだ意識は戻っていない状態。
ベッドの周りで話をしていると目を閉じて寝息をたてる。
声に反応しているらしいので、姉が本の読み聞かせをしてくれた。
ベッドのマットが自動的に左右に上下移動するものを使用している。
床ずれの予防になるようで。

足裏の反射区域をマッサージすると刺激になるので、
頻繁にツボマッサージをしてみよう。
今夜は私が泊まり付き添い。
一旦家に戻ってヒゲソリ等を用意して病院に戻る。
■顔を動かした2004/12/13(月)
 深夜から朝にかけて数回、痰が詰まるような音。
ナースコールで吸引を頼んだ。
そのうち看護師さんが「大丈夫だから寝てていいですよ」と
気遣ってくれた。
寝ようとしても眠れないもので、朝まで様子を見ながら過ごした。

午前中血圧が115まで下がった。
意識はまだないけど、反応は良くなった。
午後脳波検査と痰と尿の検査。
師長(婦長)さんから入院手続きを窓口でするように指示された。
入院誓約書を作成。署名捺印をする。
病棟に戻ると師長さんから診療計画書を渡された。
搬送された日に説明のあった内容。

科:神経内科
病名:意識障害精査・脳血管障害・誤えん性肺炎
症状:意識障害・全身硬直・左共同偏視
治療計画:麻痺の原因精査

午後4時、呼びかけに反応して顔を向けた。
あくびをする。目で相手を確認しようとする。
アゴを動かす事が出来た。
夜、症状の説明を主治医から受ける。
まだまだ安心出来る状態ではないけど、
ひとやま越えた感じ。
引き続き足の裏のマッサージを続けることに。

今夜は姉が泊まり付き添い。
明日の朝交替する予定。
■反応して頷いた2004/12/14(火)
 夜中時々咳き込むけど安定している。
朝5時20分看護師さんが便をかきだしてくれた。
7時20分喉に薬を入れる。
(姉のメモより)

11時、腰から髄液を取る検査を3人の先生がやっていたので、
部屋の外で待つ。
首がよく動くようになった。呼びかけに顔を向ける。
「わかるかな?」と言ってみると、頷いた。
まだ首から上だけが動いている状態。
足は刺激に反応すると動くけれど、自分から動かしてはいない。
痰の色が血痰から淡い色に変わった。
たまに固まった血が混ざっている。
酸素マスクもまだ装着したまま。
血圧142/79 心拍80
家族付添許可書を守衛室に届けると許可バッチを渡された。
(付添許可17日まで)
午後ケアマネNさんに連絡して入院した経過報告。
退院後ホームに戻れない場合に、またNさんにお願いしたいと伝える。
特養や在宅ケアの相談に乗ってくれるとのこと。
夕方一度家に戻ってホームに連絡。現在の状態を伝える。
今夜は私が泊り付添い。
午後6時30分血圧157/87 心拍83 熱37.8度
熱が出て血痰がまた出るようになった。
両脇にアイスノンを入れて冷やす。
深夜ゴロゴロしていた痰が出ると楽になったのか、
呼吸が安定してきた。
目を半眼にして周囲をキョロキョロと見回している。
何か妄想を見ているような様子。
■言葉が出た2004/12/15(水)
 午前7時血圧124/81 心拍82
喉でゴロゴロいっていた音が少しおさまっている。
午前9時若い先生が足の付け根に注射して採血検査。
「ちょっと痛いですよ」という呼びかけに反応しない。
注射しても身体が動くという反応も無かった。
痛みを感じないのか痛くないのかは判断出来なかった。
午前中脳の血流をみる検査で一旦病室から搬送。
午後1時〜3時まで教授回診で付添いの人は待合室で待機とのこと。
その間一旦家に戻ることにした。
「白い巨塔みたいにゾロゾロと廻るんですか?」と
若い先生に訊いてみたら、
「神経内科の教授は若いので、そりかえるような感じじゃないですね」
と笑っていた。
ちょっとどんな感じなのか見てみたいけど。
午後4時血圧137/82 心拍82 体温37.2度
大きなあくびをした後、うなり声が細かく出て、
何か喋っているようなアゴの動きがあった。
「あいーー」という言葉が出た。
「誰か解かる?」と訊いてみると、
「お゛ーーご」(私の名前らしい言葉)
周りを見回して「わ゛ーーご」(姉の名前らしい言葉)
「おねぇちゃんはお仕事だから後で来るよ。
寒くない?大丈夫?」と言ってみると、頷く。
姉が仕事帰りに来てくれた。
父は何かを伝えようとクチを動かしながらうなっている。
「ごーーはん」という言葉が出て笑えた。
「入院しているからご飯はまだ食べられないよ。
お腹空いたかな?」と言ってみると首を振る。
言葉が出たので一安心。
今日は泊り付添いなしで家に戻った。
■動脈硬化検査2004/12/16(木)
 朝主治医の呼びかけに返事をした。
家族付添許可書の更新(24日までの分)を提出。
お昼の回診時にハンマー状のもので両手両足の反応をみる。
叩いても反応なし。だらんとした状態。
体温36.9度 血圧142/79 心拍79
午後3時30分から首の動脈で動脈硬化をみる検査の為搬送。
その間大学病院の周りを一周散歩してくる。
午後4時過ぎ病室に戻る。
酸素マスクの中で乾燥して唇の皮が剥けたので、
水を含ませた紙で取り除く。
抗生剤と脳梗塞治療の点滴が続く。
午後5時30分主治医がライトを目にあてたり、
両手足の反射をみる。
唸り声だけど何かを喋っているような感じ。
喉が痰でゴロゴロしてるのは変わらず。
■笑った!歌った!2004/12/17(金)
 夜中に体温が37.8度まで上昇したらしい。
病室に行ってみると目を閉じて熟睡していた。
今まで半眼の状態で寝ていたので凄い進歩。
痰を取るチューブを噛むようになる。アゴが良く動く。
口内清拭をするときに「噛まないでね」というと、
ちゃんとクチを大きく開けて噛まない。
話す内容を理解している。
血圧154/83 心拍75 体温36.5度
午後リハビリの先生の往診。右足に少しチカラが入る。
「なでるくらいのマッサージをすることと、
関節を動かして刺激をあたえるようにしましょう」と。
まだ首から下が動かせない状態。
胃に鼻から通したチューブで水を入れる。
少しずつ胃を動かすようにするらしい。
夕方何か喋っている(唸っている)間に笑った。
その後、奇跡が。
姉が父に「春の小川」を歌って聴かせていたら、
一緒に音程も合わせて歌いだした。
その直前まで声にならない唸り声だったのに。
歌に合わせて右手がリズムを刻むように動いた。
音楽のチカラって凄いと思った瞬間だった。
■両手を動かせた2004/12/18(土)
 唇の端が切れて血の固まりが出来ている。
足の裏がカサカサしていたのでアロエクリームを塗った。
今日も歌を歌ってみると、唸り声で音程をとっていた。
午後2時、血圧139/83 心拍77
足のリハビリをしようと持ち上げたら、オムツが凄いことに。
昨日胃に水を入れた影響かな。
ナースコールして処置してもらう間病室の外で待つ。
両手足をゆっくり動かしたり、足裏マッサージをする。
また歌を歌ってみたら、声を出して歌い始めた。
「包丁一本〜さらしに巻いて〜♪」
普段カラオケで歌っている歌だと声も出ていた。
午後4時、看護師さんが点滴を取り替える時に声をかけてくれると、
「はい」と返事をする。
自分から左肩を動かした。背中も反り返るような動き。
そのうち右手をお腹に乗せたり。
「自分で動かすようにしないとね」と言ってみると、
「ようするに動かさないとダメなんだよな」と
言っているのが解かった。凄い進歩。
感情表現が豊富になってきている。
眉をしかめて、泣き笑いみたいな表情をしたり。
午後7時「また明日身体動かすようにしようね」と病室を出た。
■びっくりした2004/12/19(日)
 昼頃甥がお見舞いに行って、父と会話したらしい。
「退院したら蕎麦を食べに行こうね」と甥が言ったら、
「蕎麦、蕎麦」と言葉が出たとのこと。
午後2時病室に行ってみると、昨日より顔色がいい。
「今日は調子良さそうだね」と声をかけると頷く。
血圧123/74 心拍75 体温36.9度
まだ微熱が続いているので、両脇にアイスノンをあてている。
目の濁りが無くなってきた。
今日も姉と一緒に童謡や唱歌を歌ってみる。
「ふじの山」を歌った後、昔父が富士に行った時の話をしてみた。
本人は何かを話しているようなんだけど、まだ聴き取れない。
たまに「あのときは」とか、「ようするに」なんて言葉が判別できた。
頭から足までツボマッサージと関節を動かすリハビリをする。
点滴を交換しに来た看護師さんを見て「びっくりした」と言う。
足裏のツボを押しながら「痛かったら言ってね」と言ってみると、
「痛いよ〜」と言って、痛がる。
「早く起き上がれるといいね」と言うと、
「そうだね」と返事をした。
両方の手に力が少し入るようになって、握ったりひらいたり。
言葉数も増えて来た。
■酸素マスク外した2004/12/20(月)
 午前中血液検査と酸素の動脈検査。
午後紙オムツが無くなったので売店で購入。
顔色が良くなって、言葉も増えて来た。
「調子いい?」と訊いてみると「いいよ」とはっきり言う。
足のツボと手のツボと頭のツボを押して、
両手足を動かすリハビリをしてみる。
主治医が両足の親指を押して反応をみる。反射も良く出ている。
血圧162/81 心拍73 体温36.8度
酸素マスクと心電などのコードが外されて、モニターも片付けられた。
「水曜日お水を飲むテストをしましょう」と言われると、
「ああ、そう」と答える。
痰はまだ出るけど、量が少なくなってきた。
ベッドを座るような形まで起こした。
右手でお腹をかくことが出来た。
唸りながら音程をつけて何か歌いだした。
一緒に童謡を歌ってみるとしっかり声も出ている。
看護師さんにナースコールのボタンを右手に持たせてもらった。
「何かあったら押して」と言われたのに、
用もないのに押して看護師さんを呼んでしまった。
■酸素管ついた2004/12/21(火)
 昨日酸素マスクが外れたのにまた酸素低下になったので、
鼻から酸素を吸入する管がついた。
寝ていて反応が悪い。唸っていて言葉も出てこない。
リハビリの先生の往診。
両手をあげたりまわしたりする動作を補助する。
両足を曲げたり、足首を曲げたり。
やり方を教えてもらったので、普段も動かすようにしよう。
頭と足のツボを押したら刺激が良かったのか、
春の小川を歌えた。
姉と一緒にいろいろ歌ってみる。
・朧月夜・故郷・荒城の月・旅愁
・ふじの山・しゃぼん玉・冬景色
何度も同じ曲を歌っていた。
手足と顔を温かいタオルで拭く。
「ようするに、ひどいんだ・・・」と何か話していた。
■足も手も痛い2004/12/22(水)
 午前中脳波検査。以前と変わらない状態。
お湯をクチから飲むことが出来た。
24日(金)の昼から嚥下食(えんげしょく)が始まるとのこと。
鼻につけていた酸素の管も取れた。
ヒゲが伸びていたので剃った。
リハビリの先生の往診。
両手足の曲げ伸ばしをする。かなりチカラが入るようになった。
その後何かを喋るように唸っていた。
頭と手足のツボを押してみると反応が良い。
突然、黒田節を歌いだす。
「酒は飲め飲め飲むならば〜♪」調子も良さそう。
綿棒で耳掃除をしたら血が少し出た。
以前も家で耳掃除して、耳垢が取れた後に出ることがあった。
また唸るように何かを喋っている。
「ここにいることが辛いな」という言葉がはっきり出た。
「身体動くようになったら退院できるからね」と言ってみると、
「そうだな」と会話になった。
左耳からどろっとした血が出ていた。
ナースコールして主治医と他2人の先生が来てくれた。
外耳に溜まった耳垢が取れたときに皮膚が剥がれた様子。
消毒して綿を詰めて処置が終わった。
「痛いところある?」と訊いてみると、
「足も痛いし、手も痛い」と自分から手足を動かす。
看護師さんが痰を取ってくれた。
まだ血痰が出るけど、量が少なくなっている。
鼻から胃に通した管で栄養剤入りのお湯が入る。
「これ嫌なんだよな」と言って困った顔をする。
看護師さんが「嫌なんだよねぇ」と言うと、
苦笑いをした。表情も豊になってきた。
その後延々と唸った状態で何かを話していた。
■熟睡2004/12/23(木)
 微熱が続いている。半分眠った状態で反応が悪い。
手足を動かすリハビリをすると、痛そうな表情。
手を持ち上げて「どこが痛い?」と訊いてみると、
「腰が痛い」と答える。
寝ている状態だと腰や背中が痛むのだろう。
腰に手を入れて硬くなったスジを揉む。
手足と肩と頭のツボを押すと大きなあくびをした。
その後話し掛けても反応が悪い。
熟睡してしまったので、早めに帰宅した。
■上半身動いた2004/12/24(金)
 お昼嚥下(えんげ)食。車椅子に乗って移動して広間で食事。
お茶ゼリーとヨーグルト。
頭がまだ固定できないのでズルズル落ちたらしい。
食べている間は意識も朦朧としていたのに、
終わったら看護師さんに「おはよう」と挨拶したとか。
オムツとパッドが無くなる頃だと思って薬屋で購入して行く。
病室に「オムツとやわらかいハブラシを用意して下さい」と、
看護師さんからのメモが置いてあった。
病院内の売店でハブラシを購入。
午後は話し掛けてもぼーっとして反応が悪い。
「お昼にご飯たべたね。どうだった?」と訊くと、
「やはり・・・・」と何かを話しているのだけど聴き取れない。
両手足を動かすリハビリと、ツボを押す。
足裏を押していたら「痛い〜」と反応した。
リハビリ科の先生の往診。両手足の反応をみる。
「手を持ち上げてみましょうか?」と先生が言うと、
「そうね」と答えるけど、自分では動かせない。
夕方反応が良くなって話が出来るようになった。
足も曲げたり、右手で顔を掻いたり。
上半身(右肩あたり)を自分で動かす事が出来た。
「ずいぶん動くようになったね。かなり快復してるよ。
無理しないように動かそうね」と言ってみたら、
嬉しそうに頷く。

月曜日に同じ階の南病棟6人部屋に移動が決定。
鼻から栄養の入ったお湯とクチからの嚥下食併用で、
そのうち点滴も外れる予定。
■嚥下食2004/12/25(土)
 午後病室に行くと首をあげて見る。
「調子はどう?」と訊いてみると「いいよ」と。
微熱があって、痰もまた多くなっていた。
鼻から胃に通してある管を手で外してしまうので、
両手を拘束する器具が付けられていた。
入院時に書いた同意書が病棟にまわっていなかったので、
もう一度記入して捺印。看護師さんに渡した。
手足のリハビリをする。かなり動くようになってきた。
話し掛けても喉をゴロゴロさせるだけで反応がない。
手足と頭のツボを押すと「痛い〜」と反応した。
その後いきなり何かを話始めた。
「いろんな交換するのはいいけどさ、
実際に公平にするのは、なかなか・・・」と
妄想か夢を見ているらしい。
夕食に嚥下食が出る。
柚子味噌をつけたおもゆのゼリーと胡麻豆腐とお茶のゼリー。
まだスプーンを持つ事が出来ないので、クチまで運ぶ。
時々むせる感じだけど、飲み込む事が出来ている。
栄養の入ったお湯を鼻の管から入れる。
看護師さんが「蕎麦は何が好き?」と声を掛けてくれると、
「ざる」と答えていた。
自分から「我は海の子」を歌い始める。
姉もオムツとパッドを購入していてくれた。
■左手も胸まで動いた2004/12/26(日)
 ベッドが60度くらい上がっていた。
座っている形で、両手が拘束されていた。
リハビリの為に拘束ベルトを外す。
血圧127/71 体温36.9度。
手のリハビリの後オムツを交換してもらった。
足を持ち上げて股関節を回した。
姉が本の読み聞かせをしてくれた。
その後歌を一緒に歌う。
夕食は嚥下食。
おもゆゼリーに鰹味噌付きとお茶ゼリーとチョコゼリー。
左手を自分で動かして胸まで上げられた。
両手を伸ばしたり、パンチするような動きが出来た。
日々快復してきている。
明日27日(月)午前10時頃に6人部屋に移動。
■6人部屋に移動2004/12/27(月)
 午前中に6人部屋に移動。
通路側ですぐ隣に洗面やトイレがあるので便利。
痰があまり出ていない。
右手はミトンのような手袋状のものを着けられていた。
12/11〜15日分の請求書が引き出しに入っていたので、
入院会計にて支払う。
次回は12/31までの分を1/5あたりに請求が出るらしい。
前の病棟に挨拶。付添許可バッジを守衛室に返還してくる。
午後3時過ぎ、リハビリの先生の往診。
右手のミトンを外す。
両手足を動かす。左側がまだ動きが悪い。
自分から動かそうとすると、右側は動いている。
病棟が変わったので、また拘束同意書を記入捺印。
父は他のベッドの会話に頷いたり返事していた。
■主治医と会話2004/12/28(火)
 体温36.8度。血痰が少し出ている。
今日から点滴が無くなった。かなりの進歩。
右手の拘束が内側メッシュの物に変わっていた。
左手を自分で動かして頭まで持って行くことが出来た。
両手足のリハビリとツボ押しをした。
蕎麦の話をしてみたら「鬼怒川の蕎麦がうまいんだよ」と
思い出しながら話していた。
主治医往診。「どこか痛いですか?」と訊かれると、
「あちこち痛い」と答える。
直前に蕎麦の話をしていたことを伝えた。
「お蕎麦が好きなんですか?」と先生が父に訊いてみると、
「蕎麦ね。あそこの横断歩道・・・(何かを言っているらしい)
車のことを考えて停める所が大きいんだ」と答えていた。
先生も挨拶以外で会話になったことを驚いていた。
「手をあげてみて下さい」という指示に、
左手を勢い良く上にあげる事が出来た。
夕食は嚥下食と栄養の入ったお湯。
今日も別の患者さんの会話に返事していた。
両手足の動きもかなり活発になってきている。
■両手足を動かす2004/12/30(木)
 姉のメールより:
今日は反応がいまいち。
でも、意識して両足を動かしていた。
足の間に小さな枕を挟んで擦れるのを予防していた。
ツボ押しとリハビリをやった。
頭の右側のツボを押したら痛そうだった。
パッドが無くなったので買っておいたよ。

夕方オムツとパッドを持って行く。
両手足を動かしてみてと指示すると、かなりスムーズに動いた。
姉がツボ押しとリハビリしてくれた効果が出ている。
■反応が悪い2004/12/31(金)
 姉のメールより:
今日の父は夢うつつ・・・。
ツボ押しして、足のマッサージしたら、
なんとか意識は出て来たけど言葉がでない。
よびかけには反応するけどはっきりした返事はできない。
お昼に車椅子に座らせたら血圧が下がったので、
寝かせておいた。




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