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育老日記・痴呆の症状と向き合う備忘録



■火傷2004/10/1(金)
 夜中父の様子を見に行ったら、お椀に茶色の液体が。
自分でポットからお湯を入れる事が出来たんだなと思っていたら、
右手の親指に白いテープを巻いていた。
「ココア作ったんだけど、かたまりがあったんでかき混ぜた」と
父がテープを貼った親指を回す。
「火傷したんなら冷やさないと」とテープを剥がしてみたら、
両面テープだった。これじゃ何の効果もない。
水道で親指を冷やした。
朝指がどうなってるか確認したら、痕も無いようなので大丈夫らしい。
痛みも無い(感じない)様子。
今日は追加のデイサービスがあるので早めに庭に出て日光浴させた。
午前9時にお迎えバスに嬉しそうに乗り込んだ。
午後4時帰宅。連絡ノートの次回利用日が4日(月)になっていた。
明日の土曜日の通常利用が飛ばされているので、すぐに確認した。
「記入ミスですね。すみません」と電話に出た職員さんが謝ってくれた。
予約をしてある予定を飛ばした状態で書かれると凄く不安になる。
夕方6時に夕食を出した後、夜8時にまたご飯をよそって食べていた。
お腹がいっぱいと感じないのだろう。

10月予定
デイサービス:1/2/4/6/16/18/25/27
ショートステイ:8〜14/19〜23/28〜1

■書道の問い合わせ2004/10/2(土)
 昼過ぎ父がデイサービスでいない時間に、元生徒さんの訪問。
高校生までの成績を証明した証書が欲しいとのこと。
以前ならすぐに成績が書かれたノートを見て渡す事が出来たけど、
今年になってからどこにそれがあるのかが解からない。
廃棄した名簿と一緒にしたのか、紐でくくった書類の中にあるのか?
来週にでも東京の書道会本部に問い合わせて、
その生徒さんの成績を確認しようと思う。
成績を書く賞状も廃棄してしまった後なので取り寄せるしかない。
もしも父がいたとしたらどうなっていたか想像するとぞっとする。
運良く成績の書かれたノートが見つかったとしても、
教えている頃に逆行して、別の教室にも行こうとするかも。
■時差2004/10/3(日)
 姉が様子を見に来てくれた。
父と話をしていると30分も前に話題にした事を話し出す。
脳の回路がゆっくり繋がる感じ。
雨が降って寒く感じるので冬用の敷物に替えた。
室内の模様替えをすると父には別の場所と思えるのか、
夜タオルとサンダルを持って室内をうろつく。
「外に出ると雨だから寒いよ」とサンダルを片付けた。
■雨の中2004/10/4(月)
 朝起きて父を確認すると雨の庭を掃いていたので室内に入れた。
戻ってベッドに横になるとすぐに熟睡しはじめたので、
デイの準備している間寝かせておいた。
起こして朝食後歯磨きとヒゲソリと整髪をしながら、
TVで爪を剥がされたニュースを見た。
父は両手をじっと見ながら「痛いだろうな」と。
午前9時前お迎えバスに乗り込んだ。
書道会の本部に連絡。生徒さんに検定証明を送ってもらうよう手配した。
午後4時雨の中帰宅。
「また道を間違えてるんだよ」と笑っていた。
「新しい道が出来てるから間違えちゃうこともあるよ」と言ってみた。
「知ってる場所だから降りようとしたのに、降ろしてくれないんだよ」
父は自宅じゃない場所で他の利用者が降りると自分も降りようとして、
職員さんに「まだ乗っていてね」と言われたらしい。
普段から自宅という感覚が薄いのだから仕方ないけれど。
降りようとする父をなだめて座らせて、
家まで無事に送ってくれる職員さんの苦労は大変だろうな。
■3時間ごと2004/10/5(火)
 今日は3時間ごとに寝たり食べたり。
午前中薬を袋に入れる作業をしていると、
隣に座ってぼーっと見ていた。
話し掛けても半分寝ているような状態。
夕方TVの情報番組で若年性痴呆症の症状を紹介していた。
方向感覚が無くなったり、家を家と思えなくなったり。
うちの父とほぼ同じような進行の仕方。
こうなったのも運命なんだろうと受け入れるしかない。
父は夕飯を食べた後、すぐにベッドで熟睡。
■ポットに蕎麦2004/10/6(水)
 夜中何を食べたかをチェックしてみると、
冷蔵庫に入れていた蕎麦が二人前分無くなっていた。
炊飯器のご飯も1合分減っている。
煮物一皿と、惣菜数皿分が無い。
お腹が空いたというより、目が覚めたら何か食べるという感じ。
デイサービスの準備をいつものようにして、
午前9時に父が出かけた後のこと。
お湯がまだあるかなとポットの蓋を開けたら、
茹で蕎麦一袋が浮かんでいた。
誰もいない部屋で「うひー」と叫んで笑ってしまった。
午後4時帰宅した父にポットに蕎麦が入っていたと言ってみたら、
「あ〜。温めようとして入れたんだ」と笑っていた。
今日はデイサービスで歌を歌ったらしい。
プリントには「ボケない音頭」という歌が。
松の木小唄の替え歌で皆で歌ったのだとか。
プリントを見ながら歌詞を紙に写させた。
漢字を見ながらでも書けなくなっているけど、
今日はいつもと比べるとまともに文字が書けていた。
一文字づつ一生懸命書いている。
「たまには書かないとダメだなぁ」と言いながら、
すぐに投げ出してしまった。
■ケアマネNさん訪問2004/10/7(木)
 午前中昨日と同じに歌詞を書いていた。
午後2時過ぎケアマネNさん訪問。
父は相変わらず張り切っていた。
以前のケアマネさんからの引継ぎ書類の確認をして、
介護保険証のケアマネ欄変更を確認。
9月と10月の利用状況表を確認して捺印する。
ついでに12月と1月のショート予約希望を渡す。
年末年始の施設の休み前後にショートが予約出来たらいいな。
ケアマネNさんが帰った後も父は嬉しそうだった。
夕方洗濯物を取り込んでいたら父が後ろに立っていた。
「今日は天気よかったから良く乾いたよ」と言ってみたら、
「じゃあ、かえる」と言い出した。
また家に帰るって言い出したなと思ったら、
シャツを脱ごうとしていた。
乾いたシャツが気持ち良さそうだったので着替えたかったらしい。
苦笑しながら父を室内に誘導してシャツを脱がせて、
乾いたばかりのシャツに着替えさせた。
日本語は難しいね。
■ショートステイ14日(木)まで2004/10/8(金)
 夜中にご飯を食べようとしていた。
昨日の夕方から3食分は食べている。
父のお腹がぽっこり膨らんでいた。
「お腹空いてる?空いてないのに食べると胃に悪いよ」と注意してみた。
朝父を確認しにいったらベッドで熟睡。
夜中に注意した事を理解したのか、珍しく朝まで何も食べなかったようで、
冷蔵庫の中身や炊飯器の中のご飯も減っていなかった。
そのうち起き出して「チャックがはまらない」と見せに来た。
朝食後歯磨き・ヒゲソリ・耳掃除・整髪などをして、
お迎えが来るまで座椅子で寝かせておいた。
午前9時過ぎお迎えバスに嬉しそうに乗り込んだ。
今日から14日(木)までのショートステイ。
■帰宅2004/10/14(木)
 午後4時30分父が帰宅。
お泊りがどうだったといつものように訊いてみた。
父は断片的にショートステイでの出来事を思い出したらしい。
内容を繋げてみるとこんな感じ。
「男の寝る部屋と女の寝る部屋が別にあって、
俺が女の部屋に入ったりすると、
夜に隣のベッドの65歳くらいの暗い男が
気持ち悪いって俺のことを言うんだよ」
想像してみると、男同士でも同じような症状なら、
お互いに妄想を見ていたり、勘違いしたりするのかも。
父は同年代の男性と比べると女性と接する機会が多かったので、
(書道の生徒さんとかダンスの集まりとか)
男性の利用者より女性の利用者と仲良くなるだろうし。
父に「何をしに女性の部屋に行ったりしてるの?」と訊いてみた。
「話したり挨拶したりだよ」と。
お隣の男性は気軽に女性と話をする父を羨ましく思ったのかな?
夜中に徘徊して女性の部屋に入ってしまったりしたのかな?
私に話したことですっきりした表情になっているので、
まぁいいかなと思う事にした。
眠そうだったので夕食までベッドに寝かせておいた。
夕食時に「夢見たんだよ。弟(M伯父)が職探ししててさ。
岩舟(父の実家)の家に皆いるんだよ。
仕事探しに駅に行ったら台風の後で、
ベンチに人がいっぱい寝てるんだ。
本当だと思っていたら夢だったんだよ」
と夢ということは解かっているらしい。
夜トイレに行こうとしていたので、
「トイレはそこを左に行くとあるよ」と指示すると、
「へぇ、そうか」と初めて聞いたような返事。
今日は表情も明るくて話す内容も比較的正常。
■行方不明2004/10/15(金)
 昨日父が入った後のトイレを確認したら便座に便がついていたので、
掃除をしながらお腹を壊したなと思っていたのだけど。
朝起きて父を確認したら夜中に蕎麦とご飯などを食べた跡が。
熟睡していたので寝かせておいて洗濯をしようと、
洗濯機の中を覗いたら父のパンツとTシャツと洗剤が入っていた。
夜中に自分で着替えて洗濯をしようとしたのか?
スイッチを押すということまでは出来なかった様子。
パンツを取り出してみたらそこには凄い物がついたまま。
想像するとお腹を壊してオナラをしてつけてしまった感じ。
取り出して水道で凄い物を流して手洗いした。
丁度父が起きて来たので、「これ洗おうとしてたんだね」と見せた。
「お腹壊しちゃってさ。着替えたんだよ」と恥ずかしそうにしていた。
「一度洗って流してから洗濯機に入れようね。
夜中に何度もご飯食べたりしてるからお腹も壊れるよ。
お腹がゆるい時にオナラすると出ちゃう事もあるさ」と言ってみた。
まだ自分でトイレに行く事が出来るし、
パンツを汚したら洗おうとするだけエライと思う。

午前10時過ぎ父がいないことに気付いた。
10分くらい目を離した隙に出てしまったらしい。
家の中にいないので、散歩に出たのか探しに行こうと準備して、
外に出ようとしたら戻って来た。
「2ヶ月ごとに送るものがあっちの教室に届いているんだ。
取りに行かなきゃ」という内容がどうにか聞き取れた。
半眼でぼーっとしているので妄想を見ているらしい。
室内に戻して、紙と筆を渡して文字を書かせた。
何度も「あっちの教室に行く」と言い出す。
丁度父宛の健康系通販カタログが届いたので、
「お父さん、今届いたよ。あっちの教室行かないで済んだね」と
中身を見せながら言ってみた。
「こっちに届いたんか。よかった」とカタログを目的の物だと思っている。
見ながらあくびを連発するのでベッドで寝かせた。

お昼になっても熟睡しているのでそのまま寝かせておいたら、
1時過ぎに起きて来たので昼食を出した。
午後は庭の芝生を短く刈ったり、文字を書かせたり。
夕方洗濯物をたたんで父のタンスに入れようとしたら、
夜中に着替えた時にシャツとパンツを選んだのか、
違う場所に10枚ほどシャツが突っ込んであった。
全部取り出してたたみ直した。
夕食を7時過ぎまで待たせて出した。
食後歯磨きをさせてから寝かせた。
「夜中徘徊しても連絡があったらあわてよう。
いつものことだ」と思わないと。
■直貼りシール2004/10/16(土)
 朝いつものように準備して、庭で軽く体を動かした。
両手を挙げたり、体をひねったり。
小走りで足を上げてみたりと元気。
左手と左足の動きが悪い。
脳血栓が右脳の方に多めに出たのだろうな。
午前9時過ぎにお迎えバスに乗り込んだ。
午後4時20分頃帰宅。
ちょび犬が笑うと車の中で話題になったらしい。
今日の送迎担当職員さんは二人共男性だった。
「また道を間違えるんだよ。右に曲がればいいのに、
わざわざ遠回りして人を降ろすんだ」と文句を言っていた。
想像すると、利用者の家を順番に降ろしているのだろうけど、
父は自分が降りようとしている何処かを通過されて、
他の利用者の家に行くということが理解出来ないらしい。
部屋に入りながら手荷物を指差して、
「日産の何かが入ってるんだ」と言い出した。
車関係の話をするとまた「車を買った」と思い込むかなと
先手を打って「今日は何してきたのかな?」と連絡ノートを出して、
お手玉シュートを楽しんだというメモをネタに話をすりかえた。
夕食までの間約1時間ベッドで寝かせた。
午後6時過ぎ起こして夕食を小さめの食器にのせて出した。
いつもと量は変わらないのだけど、見た目が変わると多く感じる。
「夕飯をちゃんと食べておけば夜中に食べなくて済むし、
お腹も壊さないから、全部食べようね」と念を押した。
しっかり食べて満足したのか、すぐにベッドで熟睡しはじめた。
姉から電話連絡があったので父の様子を知らせる。
徘徊した時に着替えたりしたらどうしようかという話をしていて、
凄いアイデアを考えついた。
エレキバンのシールに名前と連絡場所をマジックで書いて、
背中や首に貼れば、コリも取れるし連絡もつくかも。
徘徊防止の携帯は持って歩けないし、服も着替えるし。
肌に直貼り出来るなら有効かも。
■行方不明2004/10/17(日)
 朝8時全市一斉清掃、家の前の道路を掃除。
父も外に出て来て落ち葉を掃いた。
ご近所の方が「今日は調子良さそうね」と声を掛けてくれた。
午後2時父がいない事に気付いた。
姉に連絡して来てもらうことに。
行きそうな場所を車で廻って探したけど見当たらない。
一旦家に戻って別の場所に行こうとしたら、
道路の先に父の姿が確認出来た。自分で戻って来れたらしい。
父は「バーべキューの会場に行って来た」と妄想している。
お昼は豚丼だった。肉を食べたという記憶が変にゆがんだのかな?
知り合いが来てたというので、現実ではないと話した。
ベッドに寝かせたら熟睡しはじめた。
何も言わずに出かけたけど、自力で戻って来れた。
ということは、いなくなった事に気付かなければ、
そのまま戻って何事も無いという事にならないだろうか?
夕方6時過ぎ夕食後。
父がTVの交通取締りのニュースを見ながら変な事を言い出す。
「ちょび(犬)が車の運転してて、事故おこして、問題になってる」と。
何の事か理解出来なかったので、紙に絵を描かせてみた。
抽象画のような線をぐるぐる描いて「これがちょびで」と指す。
そのうち「自動車」という字を書こうとして書けなかったので、
そこから書道の話に持っていった。
永字八法を書かせてみて、話題をすりかえた。
縦の線が真っ直ぐに引けないので、数回書かせた。
そのうちまともな字になったので「出来たね〜。」と
言ってみたら、そこで満足したらしい。
「さっきのちょびが運転してたと思ったのは夢だったんかな?」
と正気になった。
眠剤を飲ませたらすぐに熟睡しはじめた。
■朝まで熟睡2004/10/18(月)
 朝熟睡している父を起こして朝食。
夜中ご飯を食べようとしているのを止めたので、
朝まで何も食べなかった様子。
話題にしなければ、昨日徘徊したことも忘れている。
食後に歯磨きとヒゲソリと整髪。
午前9時お迎えバスが来てもしばらくぼーっと座っていた。
職員さんに挨拶されてスイッチが入ったみたい。
嬉しそうに出かけていった。
午後4時帰宅した父がまた「日産の・・・」と言い出した。
カバンの中を探って「日産の連絡帳があるんだ」と。
謎が解けた。父は仕事に行っている先が日産の会社だと思っているらしい。 施設の名前が書かれている連絡ノートを見せて、
「日産じゃなくて××××だよ」と言ってみた。
「あれ、そうか」と納得したらしい。
洗濯物を取り出したら異臭がする。
パンツとタオルに便がついていた。
お風呂に入った後のタオルにもついていたということは、
いつ漏らしたものなのだろう?
だんだんシモの事が出来なくなっている。
夕食後ベッドに寝たと思ったら10分後起き出す。
というのを何度も繰り返していた。
寝なければいけないと思っても眠れないから起きる。
起きていてTV見ていたら寝ないとと思い込む。
ベッドと座椅子の間を行ったり来たり。
そのうち水道の上の方をあちこち触っている。
「電気のスイッチどこだ?」と、反対方向の壁を探す。
ベッドに潜り込んで熟睡しはじめた。
■ショートステイ23日(土)まで2004/10/19(火)
 ショートステイの準備をして、朝食後歯磨きさせる。
ヒゲソリと整髪が終わって座椅子で寝かせておいた。
午前8時50分お迎えが来た。男性職員さんが手際よく父を誘導。
23日(土)までショートステイ。

父が家にいる間はトイレもお風呂ものんびり入るということが無い。
玄関を開けて出て行く音に聞き耳を立てる。
料理の最中に火を止めて様子を見に行ったり。
夜中も物音で飛び起きる。
デイやショートに出かけた後に脱力感と疲労感がどっと出る。
今は何もしたくない気分。
帰宅する頃にはリフレッシュして、また踏ん張れるかな。
■帰宅2004/10/23(土)
 午後4時30分帰宅。
送りの職員さんと犬の話をしたと嬉しそう。
歩き方が変だったので訊いてみると腰が痛いらしい。
室内で横にさせて電動の機械でマッサージした。
体の左側の肩から腰にかけてこっている。
「こんな気持ちいいのは初めてだ」と喜んでくれた。
施設からのショートの連絡メモには、
「日中食堂でTVを見たり、職員や他の利用者と
お話をするなど穏やかに過ごされました。
夜間は眠剤を内服されても、なかなか眠れない日があります。
平均5時間は睡眠をとられているようです。
食事はほぼ全量摂取されていました」
と書かれていた。
ズボン下の股部分に尿漏れのシミがあったので、
漏らしていたのだろうけど、その記述は無かった。
そのくらいの事は日常で普通にあるのだろうな。
夕食後ベッドで熟睡。
1時間後起き出してTVを見ていた。
■地震のニュース2004/10/24(日)
 昨日新潟県中越地震が。
こちらも震度4の揺れだった。
朝ニュースを見ていた父は「何年前の録画なんかな?」と言い出す。
「香典を用意しないと」と引き出しを開け閉めしていた。
ニュースで被災され亡くなった人数を流していて、
父はそれを見てお葬式に行かなきゃと思ってしまったらしい。
「新潟の地震のニュースだよ。知り合いは亡くなってないよ」と
地震の内容に話題を変えたら忘れた様子。
「任期満了で自衛隊を退職する人がいるんだ。
皆集まってるんだよ」とTV画面を指差す。
被災地で自衛隊のヘリに搬送される住民が映っていた。
「こんな時に退官する人は大変だね」と話を合わせてみた。
今日は地震のニュースを見て過ごしていた。
夜9時頃父が何かを探して部屋をうろつく。
「ここに何を履いて来たのかわからないんだ」と。
自宅という感覚が無いらしく、施設か旅館だと思っているようで。
3時間前に食べた夕食の蕎麦の話をしてみたら、
「昨日の蕎麦は美味かったな」と言い出す。
父は一度寝て起きると一日が経過している感覚らしく、
今何時でどこにいるかというのが理解出来ないらしい。
寝かしつけた10分後外に出て行く父をつかまえた。
「うちに帰る」というので、「うちはここだよ」と
室内に入れた。今夜も目が離せない。
■妄想2004/10/25(月)
 深夜1時30分頃大きな音がしたので様子を見に行く。
「隣の家で苺とトマトを作っているんだよ」と
半眼で妄想を見ている表情。
しばらく状態をみて落ち着いたようなので私も寝ることに。
朝父がベッドにいない。部屋のすみの床にまるくなって寝ていた。
起こして朝食を出すと、自分のクチに食べ物を持って行くことが出来ない。
頭では食べようとしているのか、クチをパクパクさせているのに、
手はアゴの高さまでしか上がらない。
手助けしてどうにか食べる事ができた。
その間半眼だったので、寝ている状態で動いているらしい。
午前9時お迎えの職員さんが「特養から連絡ありましたか?
要介護3だとまだ入れないと思います。
4から5の人が沢山待っている状態なので」と言っていた。
以前入所状況を教えてと連絡メモに書いておいた。
まだ入所待ちが沢山いるのは解かるけど、
予約を入れた人に連絡をしないというのは、
この介護施設では通例なのだろうか?
どんな状況なのかを知りたいだけなのだけど。
午後特養から「100人以上の待ち状態です」と電話連絡があった。
父が生きている間に入所出来る確率はかなり少ない。
複数の施設に予約しているケースもあるけど。
午後4時30分帰宅。
小学生の施設訪問と10月のお誕生会で楽しんだらしい。
夕食も自分で食べる事が出来た。まだまだ大丈夫。
■ケアマネNさん訪問2004/10/26(火)
 午前8時30分ケアマネNさん訪問。
11月の予約書類を確認して捺印。
新潟中越地震の話をして、父も普通に会話していた。
雨が降ってきたので室内で出来る事をさせようと、
紙と筆ペンを用意して、検定用の草書手本を出してみた。
私が何枚か書いて父に渡した。
ケアマネNさんと会話したことで刺激になったのか、
張り切って書いていた。
夕方父が外を見ながら「雨がまだ降ってるな。
お昼くらいまでは降るのかな?」と言い出した。
「お父さん、今夕方だよ」と指摘してみると、
「ああそうか。昼前かと思った」と笑っていた。
夜9時45分頃「家に帰る」とまた言い出す。
「仕事の約束してるから」と出て行こうとしたのを、
「夜の10時だよ。遅いからここに寝ようね」と
ベッドに寝かせた。半眼なので夢の中らしい。
■生存のニュース2004/10/27(水)
 朝お迎え前に庭に出て軽く体操させた。
午前9時お迎えバスに乗り込む。
午後4時30分帰宅。
父は紙のメダルを首から下げていた。
施設に近くの小学校から子供達が遊びに来て、
一緒にゲームしたり折り紙をしたと嬉しそう。
小学3年生が30人くらい来たらしい。
メダルには「いっしょにあそんでくれてありがとう」と
一文字づつ違う色を使って書かれていた。

ニュースで新潟中越地震で行方不明の親子3人のうち、
2歳の男の子が助け出された場面をやっていた。
巻き込まれてから93時間。よく頑張ったと思う。
父も画面を見ながら「よかったなぁ」と喜んでいた。
■ショートステイ11/1日(月)まで2004/10/28(木)
 昨日冷え込むと思って床にホットカーペットをひいた。
父は深夜起き出してご飯と梅干を食べたらしい。
朝7時30分に父を起した。
タオルを濡らして電子レンジで温めて顔を拭いた。
ついでに耳掃除と鼻毛・眉毛を整え、ヒゲソリをした。
最近帰宅する夕方に顔がカサカサしているようなので、
温めたタオルで垢を落とすように軽くこすってみた。
つるつるの肌になって、血色も良さそう。
頭皮もマッサージして整髪。
午前8時45分に軽自動車でお迎えが来た。
「VIP待遇だね」と言ったら、嬉しそうに乗り込んだ。
11/1日(月)までショートステイ。
■コタツ2004/10/30(土)
 父の部屋に新しいコタツを用意した。
上掛けはビニール系の水物をこぼしてもすぐ拭けるものに。
ホットカーペットよりは暖かいかな。
ついでにコタツ周りをカーテンで仕切った。
プチリフォームって感じ。




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