![]() 育老日記・痴呆の症状と向き合う備忘録
■荷物を持ち帰る2005/5/6(金) |
9日(月)に移動する準備で、 着替えや預けてある荷物の一部を持ち帰ることに。 ベッドの脇にあるロッカーの中にある着替えを分類。 数日分の着替えを残して袋に詰めた。 先日連休中にK叔父が来てくれたと連絡があったので、 父に「K叔父さんが連休のはじめに来てくれたんだってね。 久しぶりに会えて良かったね」と言ってみると、 声は出ていないけど、嬉しそうな表情になる。 こちらの話は理解しているのかどうか不明だけど、 何かをしきりに伝えようとしている。 時々全身が痙攣する。左手は硬直したまま。 顔色が良さそうなので、しばらく話しかけた。 職員さんに預けてある本や筆記用具などを受け取る。 介護保険証類は当日渡すとのこと。 汚れ物を引き上げて帰宅。 ■特養に荷物搬入2005/5/8(日) 特養に持って行く着替えを用意した。 タンスの中身を全部出して選別。 名前をマジックで記入した。 衣装ケース4個とタオル類を入れたバスケット、 日用品を入れた袋2個と椅子とクッション類を用意。 午後姉と一緒に特養に搬入。 個室に小さな洗面と介護ベッドがあって、 広さは6〜7畳くらい。 搬入後職員さんと面談。父の既往症などの話や、 発症してから現在までの状況などを説明した。 ■特養入所2005/5/9(月) 午前9時30分福祉タクシーに乗って老健に向かう。 ストレッチャーを運転手さんが運んでくれた。 父の荷物がまとめられていたので受け取る。 ケアマネさんと看護師さんと話す。 情報提供書類を受け取った。 退所事務手続きを済ませてタクシーで特養に。 受付に書類提出と保険証類を提出。 今日の父は調子が良いらしく、 特養の職員さんに話し掛けられると、 はっきりした声で返事していた。 個室のベッドにて看護師さんのバイタルチェック。 職員さんに後を任せて、私はタクシーで自宅に戻った。 老健で使用していた服を洗濯して、 夕方乾いたので特養に持って行く。 父は車椅子に座った状態で食堂にいた。 今日のお昼も全量食べたとか。 ちょうど夕食だったので、食事の状態を見せてもらう。 ミキサー食を介助してもらって食べていた。 時々むせたりしていたけど、職員さんの対応も良い。 父の部屋の壁にかな書道を書いたものを数枚貼ってきた。 ■入所連絡2005/5/10(火) 父が特養に入所したので、申し込んである別の特養に連絡。 これで本当に一段落したという感じ。 ケアマネNさんと、牛久のM叔父にも連絡。 いろいろとご心配お掛けしました。 ■しゃっくり止まらず2005/5/12(木) 午後父の様子を見に行く。 職員さんの話だと、食事は全量食べているらしい。 今日はベッドに寝ていて、しゃっくりが止まらない。 話し掛けても反応が悪いので寝かせておいた。 ■歌が解る2005/5/15(日) 午後父の様子を見に行く。 スコールのような激しい雨が降っていた。 父の部屋に着くと雨はやんでいた。 ベッドに横になっていたので椅子に座って話しかけた。 相変わらず何をしゃべっているかは判別できないけど、 こちらの話に反応するので調子が良いみたい。 大学病院で唱歌を歌ったら反応したことを思い出して、 本を取り出して歌ってみた。 声は出ていないけど、同じようにクチを動かしている。 歌っているんだなぁと思ったら涙が出てきた。 音楽のチカラはスゴイと改めて思った。 ■車椅子届く2005/5/16(月) 特養に車椅子が届いたという連絡が。 宛先が不備だったので姉に確認してもらい、 届いたものが父用だと解ったので、特養に行く。 梱包された車椅子を職員さんと組み立てた。 油性マジックで名前を記入。 さっそく父の部屋に運び込んだ。 昨日から調子の良い父は今日も元気。 ヒゲを剃ってもらったのでさっぱりした表情。 はっきりした声で何かをしゃべっている。 内容まで解るようになったらいいんだけどね。 職員さんに車椅子の説明書を渡した。 ■会話が出来た2005/5/18(水) 特養に用事があったので午後行く。 父はベッドを椅子代わりにして座っていた。 職員さんの話では3時のおやつまでは車椅子に座っていたらしい。 調子が良さそうだったので、水墨画の本を見せた。 魚の絵や花の絵に反応する。 芍薬(しゃくやく)の絵を見せながら、 「立てば芍薬・座れば牡丹・歩く姿は…何だっけ?」と言ってみると、 「百合の花」と父が答えた。会話になっている! これはちょっと期待出来るかもと思って、 魚の絵に戻って、山女(やまめ)や鮭の絵を見ながらいろいろ話してみたら、 「岩船(父の実家)で魚釣り…×××(判別不能)」と何かを話している。 声が小さいのとクチの動きが弱いので内容は解らないけど、 笑顔になったり、しかめっ面をしたり。 「車椅子に座ると腰痛くならない?」と訊いてみると、 「痛い」と言いながら苦笑した。 こんなに反応するのは久しぶり。 ■特養から連絡2005/5/20(金) 特養から父の調子が悪いという電話連絡が。 食べたものを全量嘔吐してしまったのと、 便も出ないので主治医にみてもらって、 下剤を使用することになったと。 何かあってからでは遅いので先に連絡したという感じ。 状態を見守るしかないんだけどね。 ■姉が特養へ2005/5/22(日) お昼に姉が特養に行ってくれた。 ちょうど食事の時間だったので姉が食事の介助をしたけど、 父は食事の3分の1くらい食べて後は食べなかったらしい。 食が細くなっている感じ。 下剤使用の話を職員さんからきいてきたそうで。 食べる量が減っていて内臓を動かすチカラも弱っているから、 出す方も弱っているんだろうな。 ■怪我治療済み2005/5/27(金) 午後特養に行くと、父は車椅子に寝ていた。 半眼なので反応が悪いかなと思ったので、 「先生元気かな?」と声かけてみた。 すると目を開けてあたりを見回す。 右手を動かして何かを書いてる仕草をした。 「今度の課題は何かな?隷書かな?」と言ってみると、 何だか解らないけどモゴモゴ話をしていた。 きっと夢の中で書道を教えているんだろうな。 時々全身が硬直する。 両手と頭と肩をマッサージすると痛そうな表情。 右手の甲に怪我をしていた。 チカラ加減を調節出来ないので怪我は日常茶飯事。 ちゃんと治療してくれているので有難い。 ■下痢が治る2005/6/2(木) 午後特養に行く。 父はベッドに寝ていた。半眼で朦朧としている。 特養の看護師兼職員さんの話では、 「腸を動かす薬と栄養補助食品の使用で、 排便がスムーズになった様子。 パーキンソン病の影響で嘔吐が度々ある。 車椅子に乗りながら車輪に手が入ってしまい、 内出血を起こしたり、切れて出血したり。 入浴時に手が硬直してぶつける事も。」 今日は左手にも包帯をしていた。 話し掛けると、反応する。 何をしゃべっているのかは相変わらず判別出来ない。 「何か欲しいものはあるかな?」と言ってみると、 言葉に反応したのか何かを言っている。 内容が解ったらいいんだけどね。 ■痰吸引2005/6/8(水) 今日の父は熱があるらしく氷枕をしていた。 看護師さんの話では痰の吸引をしているとのこと。 呼吸音がイビキのような感じに出ていた。 両手を内側に硬直させているので、 マッサージを兼ねて開いてみたら湿疹が出ていた。 お風呂に入る時も握ったままらしいので、 指の第一関節付近に皮が剥がれるような症状が。 アロエ入りのクリームを塗り込んでおく。 パーキンソン病用の薬を変更したらしい。 両目は白濁していて見えているのかどうか。 話し掛けても相変わらずの反応。 声は少し出ているので、相変わらずという感じ。 まだ嘔吐が続く状態で服を頻繁に取り替えるので、 前開きのシャツがあると着替え時に楽らしい。 次回用意して行く予定。 ■緊急入院2005/6/9(木) お昼頃特養から「具合が悪いので、 検査の為病院に連れて行く」と連絡が。 そのまま緊急入院になった。 とりあえず病院に行って必要な物を訊く。 特養の職員さんがタオルと着替えを用意してくれていた。 紙オムツ・尿とりパッド・お尻ふき・介護手袋を 近くの薬局で揃えた後、特養に行って着替えの追加を持ち出す。 病院に戻って主治医から症状の説明を受けた。 「熱が38.2℃・血圧167/67・酸素量94% 誤嚥で胸の音がゴロゴロ聞こえる。 嘔吐や下痢などでの脱水症状が出ている」とのこと。 食事は朝8時・昼12時・夕17時と介助しに行くことに。 点滴を2種類して、夕方には熱が37.4℃まで下がった。 仕事帰りの姉が来てくれて、しばらく様子をみた。 クチの中がカサカサになっていたのが、 点滴後は潤いが出てきた。まずは一安心かな。 徘徊が無くなった分、前回の入院よりは気楽かも。 クチから食事が取れる状態になったら退院出来そうなので、 それがいつになるかは経過を見守る状態。 お泊り付き添いは無いようなので帰宅。 ■誤嚥2005/6/11(土) 昨日と今日は点滴だけの状態。 昨日は爪が伸びていたので両手足の爪を切った。 ヒゲも伸び放題になっていたので、 剃刀とシェービングフォームを持って行った。 ヒゲソリした後に体全体を清拭した。 夕方看護師さんから「プリンかヨーグルトを用意してください」と 指示されたので、近くのスーパーに行って購入。 飲み込めるようになったら明日から食事が取れるとのこと。 「咳き込んだりしたら呼んで下さい」と 看護師さんはさっさと部屋を出てしまった。 こんな状態の患者を家族の介助だけにして、 任せっきりにして大丈夫なのかなと思った。 「ヨーグルト食べようね」と言うと反応してクチを開けた。 ヨーグルトをスプーンで少量ずつクチに入れたら、 父は寝てしまって動かない。 肩や腕を刺激しても反応が無い。 そのうち喉を鳴らしてヨーグルトを飲み込んだかと思ったら、 いきなりゲホゲホと咳き込み出した。 顔が真っ赤になって汗が噴出していた。 すぐに看護師さんを呼んで吸引してもらう。 「今日は無理みたいだから、もうあげないで下さい」って。 パジャマが汗でぐっしょり濡れていたので、 風邪をひいたら大変と思って着替えさせた。 夕方仕事帰りの姉が来てくれた。 呼びかけても寝ているのか反応しない。 状態に変化が無いので帰宅。 ■プリンを食べた2005/6/12(日) 午前中は点滴のみ。 午後に看護師さんがヨーグルトを食べさせたら、 食べたとのこと。 夕食用に出されたペースト状のものは受け付けなかった。 プリンなら食べることが出来るかもしれないということで、 反応の悪い父を起こしながら食べさせてみた。 目が半眼になっていて、意識がはっきりしない。 どうにかクチを開けたので、プリンを少量入れた。 入れたとたんに寝てしまうので起こす。 モグモグとアゴが動き出して、また寝てしまう。 体をさすったり刺激して起こす。 数分後やっと飲み込んだ。 プリンの半分量を約1時間以上かけて食べた。 入院して一度も口腔内を清拭してもらっていないようなので、 歯と歯肉を清拭しながらマッサージした。 ■熱が出ている2005/6/15(水) 13日(月)に両目が見開いたまま動かなかった。 足は反射して動くのだけど、上半身は動かない。 まばたきをしないまま一点を見つめている。 体を触っても動かない。 濡れタオルでひたいを冷やした。 熱で赤い顔をしている。 14日(月)には眼球が動いていた。 前日より反応が良くなっている。 今日は声を掛けると反応して顔を向けた。 朝方38℃の熱が出て、痰吸引。 お昼頃いろいろ話し掛けてみると、 周りを見たり、手足を動かしたりした。 足に付けた点滴を動いて外してしまうくらい。 ■危篤状態2005/6/17(金) 昨日も今日もあまり変化が無い。 看護師さんが痰の吸引をしてくれた。 鼻から管を入れると血痰が出て来た。 どこかの粘膜から出血しているらしいけど、 肺から出ている血では無いらしい。 点滴後、体が熱いので体温を測ってみた。 38.6℃の熱が出ている。 「あ〜あ〜あ〜」と連続して声を出していた。 久しぶりに声を聞いた感じ。 午後3時30分に病院から緊急連絡、 主治医から症状の説明があるとのこと。 すぐに病院に行くと、 「タール便(血便)が出て、肺炎の熱が継続しているので、 会わせたい人がいたら連絡して下さい」と。 熱が39℃で、血圧が105に下がっていた。 「今夜あたりが危ないですか?」と訊いてみたら、 「急激な症状の変化があるかどうか予測が出来ない」らしい。 一昨日の方が反応が悪かったので、 今日の状態が重篤な感じがしなかったので油断していた。 いつ何があっても覚悟は出来ている。 姉に連絡して、仕事帰りに来てもらった。 父の兄弟に連絡を入れた。 点滴で安定しているようなので帰宅。 何かあったらすぐに連絡をしてくれる予定。 ■冷静な感覚2005/6/18(土) 今日は朝から病院に行く。 看護師がバイタルチェックとオムツの交換をすると言うので、室外で待機。 外にわざと聞こえるような悲鳴に近い声で、 「便が滝みたいだわ。止まらないからそっちも押さえて」と 介助に入ったもう一人の看護師に指示してる様子。 点滴が尿にならずに、黒い血便で流れるようで。 処置が終わると、また変化のない父がベッドに寝ている。 過呼吸のたびに「あ〜あ〜」と連続した声が出る。 客観的に見ている冷静な自分がいて、 無呼吸の後、苦しそうに呼吸するのを早く終わらせてあげたいと思ったり。 生きて欲しいと願う反面、苦痛を和らげてあげたいとも願う。 普通に呼吸が出来るとか、お腹が空いてご飯を食べるとか、 当たり前にしている事がなんて凄い事なんだろうと思える。 ■症状安定2005/6/19(日) 今日は姉も付き添ってくれた。 体温が少し下がって、37.9℃。 昨日まで出続けていた便も止まってきた。 姉のマッサージでむくんでいた手が治っていた。 ナースセンターで心電計の音が響いているのだけど、 時々不整脈の状態になっているので、 (トン・トン・トン・トトントトンってリズムだった) 主治医に心配になって訊いてみたら、別の患者さんのだった。 今日の父は相変わらず無呼吸の状態になったり、 過呼吸で声を出したり。 熱が下がったので顔色も少し良い感じ。 症状は一応安定している。 ■頑張らないで2005/6/20(月) 血圧94体温36.7℃ 右を下にすると呼吸が止まりやすい。 看護師が「浴衣を用意するように」と言ってきた。 「この病院では最後に浴衣を着せて送り出すんだ」と。 その言い方がショックだった。 まだ死んだ訳じゃない。 準備しておけという事だというのも解るけど、何か釈然としない。 父の服をいろいろ持って来ているのに、それでは駄目だと言う。 血の気が引いていくような気がした。 看護師は私の様子を見て慌てたのか、 父に「頑張ってね」と声を掛けていた。 何を頑張れと言うんだろう。 苦しい呼吸をしている患者に我慢しろと言っているように思えて腹が立った。 看護師が退室した後、父に「頑張らなくていいよ」と声を掛けた。 ■状態安定2005/6/21(火) 昨日までは、いつ死んでもおかしくない感じだったのに、 今日は反応が良くなって状態が安定している。 眼球が良く動いて、何かを見ている感じ。 特養の看護師さんが様子を見に来てくれた。 月末まで部屋は現状維持して貰うように頼んだ。 このまま症状が回復して特養に戻れたら良いのだけど。 両手足のむくみをマッサージした。 赤みが戻って、むくみも少しやわらいだ。 循環機能改善の点滴が効いて来ている様子。 呼吸が安定して来た。 ■着替え2005/6/22(水) 体温37℃・血圧129/77 尿の量が出るようになった。 軟便だけど、色も普通になっている。 先週から同じ服を着たままになっているので、 看護師に着替えと清拭を頼んだ。 点滴を一時はずして着替えさせた。 終始父はうなり声を出していた。 声をかけると反応して眼球を動かす。 足裏マッサージをして血行が良くなった感じ。 ■叔母逝去2005/6/24(金) 父の症状は相変わらず。 主治医の話では特養に戻ることは無理だろうと。 栄養を直接胃に入れる事も難しい状態らしい。 夜、東京の叔母が亡くなったという連絡が。 通夜と葬儀の準備が忙しい中で叔父から電話があった。 叔母は享年90歳。 父と同じような症状で2ヶ月以上の入院後、 叔父の手を握り返したり、目で追うような感じで亡くなったと。 ほぼ同じような看護と介護の状態を経験した叔父は、 寂しいながらもほっとしたという感想を漏らした。 正直な言葉だと思った。 ■特養退所2005/6/25(土) 午前中個室からICUに移動。 単にナースステーションの隣というだけで、 症状が重篤になった訳では無いらしい。 話しかけても反応は無い。 叔母が亡くなった事などを父に話した。 聞こえているかどうかは解らないけど、 閉じた目が動いているので、夢を見ている感じ。 夕方主治医と症状の確認と特養の相談をする。 血圧は100前後・酸素量90%以上で安定。 毎日タール便が1〜2回出るので、 出血を止める薬と、心臓を強くする薬を点滴している。 この状態では特養に戻るのは難しいし、 回復したとしても医療関係の施設じゃないと無理だろうと。 その後特養に行って、退所手続きをしてきた。 大きな荷物は後日搬出することにした。 ■返事した2005/6/28(火) 今日は調子が良いのか反応があった。 体を拭いて、ヒゲを剃ったら何かを喋り出した。 相変わらず内容は解らないけど。 「今度おじさん達がお見舞いに来るよ」と言ってみたら、 「あい」と返事した。 視線がこちらを向いている。 久しぶりに会話をしたような感じ。 「また来るからね」と帰り際に伝えたら頷いた。 ■手足の先が冷たい2005/7/1(金) 足の付け根に点滴が付けられた。 より心臓に近い静脈から栄養分を送る為だとか。 話し掛けると反応して頷いたり、何かを喋っている。 体を温かいタオルで清拭して、マッサージした。 手足の先が白く血が通っていないような状態だったのが、 少し温かみが戻ってきた。 上着も着替えをして、さっぱりした感じ。 ■凄く痛い2005/7/2(土) 午後姉と甥が来てくれた。 甥が大きめのトラックを用意してくれたので、 特養の荷物を引き上げに行く。 父の部屋には別の利用者がすでに入居していた。 荷物はまとめて霊安室の前の倉庫に置かれていた。 特養の窓を3つの鍵で開けてもらって荷物を搬出。 自宅に戻ってから、今後使用しない物を思い切って捨てることに。 姉と甥が清掃工場に2往復搬送してくれた。 その後、病院に行く。 甥が話し掛けたら、父は良い反応をした。 姉がツボ押しをしたり、甥が手をさすってくれたり。 いつも左手を動かすと痛がるのだけど、 今日は「凄く痛い」と言葉が出た。 ■叔父達のお見舞い2005/7/3(日) 午前中叔父達が来てくれた。 一緒に病院に行く。 姉も同時刻に病院に来てくれた。 叔父達の声掛けに反応して、頷いたり声を出したり。 左の二の腕がむくんで腫れてしまっている。 主治医から症状の説明があった。 前回説明とほぼ同じ状態。 あまり良い状態とは言えない感じなので、 叔父達に会わせる事が出来て良かった。 ■発症から2年2005/7/5(火) 叔父が亡くなった日に発症した父の痴呆症も、 まるまる2年が経過したことに。 いろいろな事があったので、 2年しか経過してなかったということに愕然とする。 日曜日に叔父達が来てくれたお陰で、少し反応が良い。 酸素量が安定したとのことで、酸素管も鼻から外されていた。 全身の清拭とマッサージをした。 ■熱下がる2005/7/9(土) ここ数日あまり変化のない状態。 熱も36℃に下がった。 胸に付けていた心電計のコードも外された。 話しかけると反応して頷く。 入院している犬の話をした。 「ちょびは、先月末繋いでいた鎖が切れて行方不明になって、 この前の日曜日に溝に落ちていた所を発見して、すぐに入院。 今はまだご飯食べられないけど、少し元気になったよ」 と話したら、目を細めた。ちゃんと解っている様子。 口腔内を歯ブラシ使用して、汚れた粘膜を剥がした。 ヒゲソリと体の清拭とマッサージ。 顔色白っぽい。 ■中心静脈点滴2005/7/12(火) 今日は熱が上がったらしく、 両脇に冷却剤(タオルを巻いたもの)を入れていた。 話し掛けても反応が悪い。 清拭してヒゲソリとマッサージをした。 ※フルカリック1号・点滴 ■輸血2005/7/13(水) 主治医から姉に輸血確認の連絡が。 ヘモグロビンのレベルが5と危険な状態になった。 (基準値・男性:14〜18g/dL) 今日一本、明日もう一本輸血するらしい。 両手足がむくんでいたので、姉がマッサージしてくれた。 父の反応は良く、話しかけると返事をする。 何かを話したりしていた。 輸血の管が詰まって看護師が管を差し直したら、 外れた血があたりに飛び散った。 明日替えのタオルケットを用意する予定。 ■呼吸が早い2005/7/18(火) ここ数日あまり変化が無かった。 今日は姉と一緒に病院に行く。 声に反応して目が動いた。 両脇に保冷剤があったので、熱が出たのかも。 温めたタオルで清拭すると、呼吸が早くなった。 ちょっと辛そう。 両手足のマッサージとヒゲソリと口内清拭。 話しかけると頷く。 ■熱下がる2005/7/22(金) 話しかけて返事をする日もあれば、 宙を見つめたまま動かない日も。 たまたま行った時間で反応が違う。 夜中に看護師が話し掛けると反応するらしい。 今日は熱冷ましの冷却剤は使用してなかったので、 熱は下がった様子。 腕を動かすと痛みを感じるのか、眉間にシワを寄せる。 ■また熱上がる2005/7/26(火) 昨日からまた熱が出てきた。 両脇に保冷剤を置いている。 看護師が口腔内のケアをほとんどしてくれないので、 行く度に歯ブラシと口内清拭をする。 普通の病院はもっと細かくやってくれるのに。 前歯と唇が体液でくっつくような感じ。 雑菌が原因の肺炎で高熱を出す場合もある。 何度か看護師に言ってケアをしてもらったのだけど、 あまり細かいことはやらない病院らしい。 小さい病院だとこれがあたりまえなのかな? しかも1週間に1度の着替えというのはどうなんだろう? 点滴を途中で止めても清拭と着替えはして欲しい。 着替えが症状を悪化させるとか、弊害があるのだろうか? 家族がやるからと手を出さないつもりなのだろうか? なんだかなぁ。 ■病院から緊急連絡2005/7/27(水) ご近所の葬儀手伝いで式場にいた時、 病院から緊急の連絡が留守電に入っていた。 「具合が悪くなったのですぐ病院に来るように」という内容。 ちょっと信用出来ない言動をする看護師からの連絡だったので、 すぐに病院に確認の連絡を入れた。 お昼に別の看護師に交代していて、今は容態が安定しているとのこと。 タール便が出て、かなり状態は悪かったけど、その後安定したらしい。 姉にも緊急連絡が入ったので、電話で報告した。 帳場の作業が一段落してから病院に行く。 酸素管を鼻に付けていた。 しばらく様子をみてから、また式場に戻った。 夕方姉が仕事を早めに切り上げて病院に行ってくれた。 ■逝去しました2005/7/30(土) 父が今朝7時30分に逝去しました。 死亡診断書に消化管出血と書いてありました。 生前のご厚情有難う御座います。 ■葬儀後日談2005/8/3(水) 30日に父が亡くなって、1日御通夜、2日告別式。 斎場の後に納骨。 2年間の介護生活もこれで終わった感じ。 やるだけやったので、悔いは無いかな。 新聞の死亡欄に載った後日談: 父の死亡記事が出た後に、 「ごみを片付ける会社」とか「霊園」とかの電話が多数。 残された家族が必要とする商売の勧誘がこうやってくるんだね。 御通夜の後日談: 通夜の日にちょび犬が変な鳴き方をした。 後で考えたら足などを掴まれた時に嫌がるような鳴き方。 父が散歩に連れて行こうとしたのかも。 そのままあちらに連れて行かれるのは困るので、 葬儀が終わるまで1泊で動物病院に預けた。 人が居なくなった家に空き巣が入るという話を聞いたので、 灯りを付けたり、戸締りを強化。 葬儀の後日談: 以前父が通っていた病院関係の人が参列してくれて、 告別式の後にその人が職場の病院に戻ったら、 別の職員がうちの父の霊が憑いてるのを見たそうで。 父の霊は「頭が痛い」って言ってたとか。 頭痛かったんだって思ったら、なんか辛いやね。 火葬の時間くらいに霊は消えたそうで。 入院してた病院じゃなく、 いつも行ってた病院に行きたかったんだろうな。 葬儀が終わった夜の後日談: 長い事連絡を取っていなかった友人から、 「なんとなくどうしているかなと思って」と電話がある。 父があちこちに挨拶で回っているんだろうな。 ■ちょび犬も逝きました2005/8/5(金) 今日の午後、ちょび犬も逝きました。 15歳まで頑張ったし。 今頃あちらで父と散歩してるかも。 介護犬お疲れさま。 ■その後の手続き2005/8/24(水)) 父とちょび犬のいない生活に慣れてきた感じ。 30年前に母が亡くなった時は四十九日まで気配があったけど、 父の気配をまったく感じないのはお散歩に出たっきりなのかな。 戸籍謄本の取り方など参考にしたサイト→ 自分でできる相続手続き http://www12.plala.or.jp/sink/ ■四十九日法要2005/9/11 朝10時、お寺にて四十九日と百日法要。 その後お墓詣りして、父の冥福を祈った。 育老日記を読んでいただいた皆様に感謝です。 有難う御座いました。 ■持ち物整理2005/9/11 父の持ち物を整理していたら、 認知症の時に描いた「かぼちゃ」の絵が出てきた。 横長のイモムシのような絵を以前はがっかりした気分で見ていたのに、 現在はおちゃめな思い出のように感じる。 時間が解決してくれるっていうのは本当だね。 人間は生まれたら必ずいつかは死ぬということを忘れがち。 生きている間に出来る事を少しずつやっていこう。 ■叙勲従七位2005/9/26 端寶單光章 「ずいほうたんこうしょう」 公務等に長年にわたり従事し、 成績を挙げた方に授与される。 端寶: 勲一等から勲八等まで8種。 宇志麻治命から神武天皇へ奉納されたという瑞宝で、 その鏡珠の形は伊勢の神宮の神宝に模したといわれている。 父の勲章を戴いてきた。 ■家財道具や服を整理2005/10/01 父の家財道具や服を整理して、 今日置き薬を引き上げてもらいました。 病院で貰う薬より「熊の胆」が効くと思っていたらしく、 2時間毎に食事をして胃が痛いと飲んでいたことを思い出しました。 置き薬の担当さんと父の思い出話をしました。 我が家では2年間の介護生活でしたが、 それも思い返せば良かったのか悪かったのか。 介護生活は経験者じゃないと理解しずらいと思います。 経験者でも、個々のケースが違うので、その大変さや抱えている問題も違うし。 介護されている皆様、無理されないよう、ストレス発散して、 利用できることはどんどん利用してくださいね。 |